四中全会の場で話をする習近平国家主(写真:新華社/アフロ)
10月28日から31日まで、中国北京で「四中全会」(中国共産党第19期中央委員会第4回全体会議)が開かれた。発表されたコミュニケを見ると「中国の特色ある社会主義制度」を完全なものとし、「党の指導」を中国の隅々にまで行き渡らせるための「決定」(「中国の特色ある社会主義制度を堅持し、完全なものとし、国家統治システムと能力の現代化を推進する上での若干の重大問題に関する決定」)を行った。2035年に国家統治システムの現代化を基本的に実現し、新中国成立100周年(2049年)までに完成させることを決めた。中国を先進強国にする国家目標と同じタイムテーブルだ。
この「決定」の全文は未公表だが、コミュニケを読む限り、基本的には習近平(シー・ジンピン)国家主席がこれまで主張してきたことの多くが書き込まれており、習近平指導体制が強化されたように見える。重要なことは「書かれなかったか」という点にあったりするが、ここはまだ確認のしようがない。また事前に噂された最高指導部人事にも動きは見られなかった。だが、どうしてそういう噂が広まったかについても考えてみる必要がある。
2013年の「決定」を深化させる
今回の「決定」は、2013年の党中央委員会の「決定」(「改革を全面的に深化させる上での若干の重大問題に関する決定」)の延長線上にある。前回の「決定」は中国のあらゆる面での抜本的改革を決めたもの。これを全面的に深化させるのが、今回の「決定」の目的であり、タイトルになっている。
前回の「決定」は実に画期的であり、よくここまで書き込めたものだと感心した記憶がある。この5年で改革が進展したところもあれば、そうでないところもある。
コミュニケから見えてくる今回の「決定」は、イデオロギーをより重視し、共産党による管理を一層強化するものだ。習近平氏の特徴がよく表れている。これまでの実践から、党を管理し、政府を管理し、社会を管理する必要をより一層、感じた結果でもあろう。管理を強めないと、さらに前に進むことが難しいと判断したと見てよい。
だが同時にコミュニケを読んで、決まり文句の羅列だなと感じたのも事実である。つまり習近平氏が最近強調したことだけではなく、これまでの重要な決定のエッセンスも消すことなく残している。例えば、党が中国のあらゆる面を指導し、党中央の権威を護持すると書きながら、「党の各方面での指導システム間の協調を図る」とも書いている。党総書記がトップにいて、その下に全部がぶら下がる構図ではないということだ。つまり「集団指導制」の堅持ということになる。経済でも、これまでの書き方通りであり、市場は依然として資源配分に「決定的」役割を果たすし、改革開放政策も堅持する。
中国共産党は、大きなところで大まかなコンセンサスをつくり出しながら進んできている。そうしないと共産党の統治の維持という共通利益が失われるからだ。だから中国を隅々まで管理する「共産党による指導」の強化に反対する党員はいない。それゆえ、今回の「決定」に「科学的」「民主的」「法による」政治をすると書き込まれている。トップに権力が集中して好き勝手をやられては困るのだ。
統治システムが抱えるジレンマ
中国経済の躍進は、中国そのものを大きく変え、それに見合った理念の修正と統治システムの変革が不可避となっている。中国の現実が、鄧小平理論とこれまでのやり方だけでは間に合わなくなったからだ。つまり鄧小平は貧困から抜け出し経済を発展させろとはいったが、発展した後どうするかは言ってはいない。イデオロギーにはほとんど触れず「中国の特色ある社会主義」という抽象的な言葉を残していっただけなのだ。今回の「四中全会」が、「中国の特色ある社会主義」の意味を掘り下げ、「国家統治システムと統治能力の現代化」を実現するために必要な「決定」を行うことにも大多数の党員に異議があるはずがない。
だが中国共産党の統治システムも「中国の特色ある社会主義」も、それ自体いくつかの大きな矛盾を抱え込んでいる。中国共産党の内部対立が深まる一つの理由である。
統治システムが抱える最大の矛盾が、レーニンが始めた「民主集中制」と呼ばれる組織原理にある。民主的に皆で決め、集中された権力で、その決定を実施する仕組みが、それだ。この仕組みでは、トップに権力を集中させるほど実施の効率が上がる。しかし権力を集中させすぎると毛沢東の場合のように、個人崇拝となり、トップの判断ミスが国全体を奈落の底に突き落とす。民主を強調しすぎるとものごとは決まらず実施もいいかげんになる。この兼ね合いが難しく、最適解は簡単には見つからない。
効率を上げようと権力を集中し始めると、どうしても上意下達となり、下からの民主的な意思決定が難しくなる。そうなるとますます細かな規則を作り、管理を強めて実施させようとする。党員の自覚を促し責任感の強い清廉な公僕となることを求める。これが今、中国の現場で起こっていることだ。
習近平指導部としては、重大かつ深刻な転換期にある中国を共産党は指導しなければならないのであり必死でやっている。改革と創新を強化し、習近平氏にさらに権力を集中させ、党の方針と政策の実施を担保する仕組みをつくるのは当然だという気持ちだろう。
だが一部の意識の高い党員を除き、多くはそこまで自己犠牲をするつもりはない。また習近平氏に権力が集中すれば党員の自発性がなくなり、結局のところ政策を実施する際の効率は落ちると考える幹部もいるだろう。また自分に不利な人事や決定がなされるので望ましくないと思う幹部もいるだろう。
中国の特徴ある社会主義が抱える3つの矛盾
同じように「中国の特色ある社会主義」も多くの矛盾を抱えている。一つは経済発展とイデオロギー(社会主義)の、どちらをより重視するかというジレンマだ。国有企業改革がその典型。国有企業は社会主義の象徴だが、経済からすると負担以外の何物でもない。
2つ目は経済のロジックと政治安全保障のロジックとの間の矛盾である。経済を成長させるためには国際協調が必要だが、軍事安全保障の目的を達成するためには国際協調を犠牲にする必要も出てくる。台湾の統一や、領土を確保し海外権益を守るためと称して米国に対抗するために軍拡を続けているが、それが米中対立を引き起こした大きな原因となっている。
3つ目が西洋に起源を持つ政治経済の論理の体系と、中国共産党が最近強調し始めた中国の伝統文化との間の矛盾である。マルクス主義は唯物論だが、これと唯心論と批判されてきた中国伝統の精神文化との融合は至難の業だ。それを融合させるから「中国の特色ある」というものになるというのだろうが、理屈としてますます分かりにくいものとなるだろう。
これらの矛盾の中で、どちらを重視するかで政策の方向性も、具体的施策も、そのやり方も異なってくるから厄介だ。その間のバランスを上手にとるのは難しい。どちらを重視するかが立場の違い、政策の違いとなってくる。習近平氏が政策の方向性を固めるにつれて、政策において習近平氏と意見を異にする勢力と、習近平氏への権力集中を望ましくないとする流れが合流する。
中国では共産党のトップである総書記が何でも自分で決めることができるという印象が強い。だが、実はそうでもない。毛沢東のように圧倒的な実績に裏打ちされた指導者ならいざ知らず、鄧小平でさえ党内の意思決定にかなり苦労をしている。
四中全会開催の遅れは習近平氏への逆風の表れ
そこで、ものごとを進める上で、規則に定められた手続きの順守と事前の根回しが結構、重要な意味を持つ。ここで手抜きをすると、内容に入る前に反対派や非主流派に格好の口実を与え、ものごとが進まなくなる。従って、党として正式の意思決定をする前に様々な調整が行われ、会議が開かれたときにはほぼ全てのことが決まっているのが普通だ。
今回の「四中全会」も重要な意思決定の場であり、当然、事前の根回しが必要になる。党規約では「中央委員会全体会議は、少なくとも年1回開催する」と定められている。ところが今回は前回の「三中全会」から20カ月もたってやっと開かれた。開催が遅れたのには理由があるはずだが、それを当局者が語ることはない。
すでに指摘したとおり、党内に、ものごとを進める方向や、そのやり方に対する考え方の違いはある。別に中国共産党だけの特殊事情ではない。自分の属している組織を眺めれば、そのことはすぐに分かるだろう。政治は権力の追求であり、握った権力は手放さない。これは米ワシントンでも東京でも起こっているし、当然、北京にもある。だが北京は、ワシントンや東京に比べて権力に対する制約が小さい。われわれの政治制度である三権分立は、国家の権力を3つに分けお互いをチェックし合うことで国家権力の制約を図っているが、北京において、権力は一つでありその争奪はもっと激しいものとなる。中国共産党において政策をめぐる争いが権力の争奪と結びつくのが目立つ理由が、ここにある。
つまり習近平氏への権力集中は、現在、党内において様々な理由により逆風が吹いていると見てよいであろう。「共産党の指導」とか「中国の特色ある社会主義」といった大きな方向性において一致しているように見えても、具体的にどう転がしていくかについて、せめぎ合いが続いていると見るべきだろう。
2022年の党大会目指し人事争いは始まっている
最大の関心事は人事であり、2022年の次の党大会で習近平体制がどうなるかに注目が集まる。習近平氏はこれまでの人事の慣行の多くを壊してきた。従って後継者問題も全く白紙の状態だ。同氏が続投するのか、そうでないなら誰が後継者になるのか、というのは最も関心の高い話題だ。党内のせめぎ合いが、今回の人事の「噂話」となったのだろう。中国の「噂話」は、大体、そうなると都合がよいと思う側が流す。中国は2022年を目指し、すでに人事の季節に入っているのだ。
習近平氏は、これからも権力の集中を求めていくであろう。習近平氏にとり大きな青写真を作り、それを実行できる政策と体制を整えないと2050年までに中華民族の偉大な復興は実現しないし、そのための基礎をしっかり固めないと、歴史に名をとどめることはできない。そう強く覚悟している気配がある。
一方で、習近平氏の政策は正しくないと思っている人たちがいる。習近平氏のやり方についていけないと思っている人たちもいる。習近平氏に権力が集中すれば不利益を被ると思っている人たちもいる。これらの人たちは、あらゆる機会を捉えて習近平氏へのさらなる権力集中を阻止し、政策を変えようとし、やり方を変えさせようとするであろう。せめぎ合いは続くということだ。
そして2022年の第20回党大会を迎える。その方向を決めるのは、もしかすると権力者のせめぎ合いではなく「民の声」かもしれない。中国では昔から「天の声」は「民の声」なのだ。
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