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「奇跡的」だったEUとの合意

 さてジョンソン首相にとって、「レトウィン修正案」の可決は運命の暗転を意味した。彼はこの2日前に天にも昇る喜びを経験したばかりだったからだ。彼はメイ前首相がEUとの間で合意していた離脱協定案を、10月17日に部分的に修正させることに成功した。これは、予想外の展開だった。EUはこれまで「メイ前首相と合意した協定案の変更には応じない」という態度を貫いていた。

 合意なき離脱も辞さないジョンソン首相は、メイ前首相とEUとの合意案に強く反対していた。その理由は、英領北アイルランドと、EU加盟国であるアイルランド共和国を分かつ国境の取り扱いにある。EUとアイルランド共和国は、英領北アイルランドとの間で税関検査が再開され、アイルランド島が事実上分割されることに強く反対していた。

 EUは、アイルランド島が南北に分断されると、1998年に英国政府、アイルランド共和国政府、北アイルランド6州との間で結ばれた「ベルファスト合意(聖金曜日合意)」が破綻し、北アイルランド紛争が再燃する危険があるとの懸念を強めていた。

 メイ前首相とEUは、国境の取り扱いについて合意できなかったため、「両者が解決策を見つけられない場合、英国全体がEUの関税同盟に残る」という「バックストップ条項」を協定案に盛り込んだ。EUはバックストップに期限を設けなかった。つまり国境に関する規定に合意できない限り、英国はいつまでもEU関税同盟に残留しなくてはならない。

 だがジョンソン首相ら強硬なブレグジット推進派は、「これでは英国が独自の判断でEUの関税同盟から抜け出すことができず、主権が制限されてしまう」としてバックストップの廃止か期限の設定を求めていた。

 今月の交渉でEUは、ジョンソン首相に対して大きく譲歩した。EUはまず、英国の保守派が協定案を受け入れやすくするために、「バックストップ」という用語を使うのをやめた。またEU関税同盟への暫定的な残留を、英国全体ではなく、英領北アイルランドだけに限定することを決めた。さらに2024年以降は、英領北アイルランドがEU関税同盟に残るかどうかについて北アイルランド議会が議決できることにした。つまり「EU関税同盟への残留」は無期限ではなくなり、北アイルランド議会が選択できることになったのである。

合意なき離脱への強い懸念

  EUが無期限のバックストップをあきらめるという大きな譲歩に踏み切ったことは、EU内において、合意なき離脱が各国経済に与える悪影響への懸念が強まっていたことを示している。米中貿易摩擦や中国の成長率鈍化などの影響で、EU最大の経済パワー・ドイツの今年のGDP(国内総生産)成長率は2018年の1.5%から0.5%に減ると予想されている。ユーロ圏の成長率も昨年に比べて0.7ポイント下がり、1.2%になる見通しだ。景気の先行きに警戒信号がともっている今、EUは合意なき離脱がもたらす経済の混乱を是が非でも避けたいところだ。

 一方ジョンソン首相側も譲歩し、国境での関税検査を英領北アイルランドとアイルランド共和国との間ではなく、英国本土に面した北アイルランドの東海岸で行うことにした。つまり英国からアイルランド島に送られる全ての物資は、英領北アイルランドの海岸で陸揚げされる時に検査され、一律に関税がかけられる。物資が英領北アイルランドにとどまる場合には、輸入企業に関税が還付される仕組みだ。

 EUとアイルランド共和国は、英国側の譲歩によって、アイルランド島の南北で物流が分断されるリスク、および、北アイルランド紛争が再燃するリスクを減らすことができた。