実はトルコは、シリア北部のクルド人武装勢力への軍事作戦を2018年1月にも実施しています。まだISも活動しており、米軍の作戦部隊も駐留していた時です。この時は、トルコ軍と米軍が衝突するのでは、との懸念が高まりました。米軍は、対IS掃討作戦でYPGと協力していたからです。つまり、トルコがYPGを攻撃したため、これと協力する米軍とトルコ軍が衝突する可能性が生じたわけです。

 この時は、米軍が移動し、トルコ軍との衝突を回避しました。トルコ軍によるYPG攻撃も、目的を達したのか、大きく拡大することはないまま収束しました。

 こうした経緯があるため、エルドアン大統領にとって、米軍が撤退すれば、トルコがYPGを攻撃するのは当然のこと。さらに、2019年2月にはトルコの国防相が「シリア北部で活動するテロリストを一掃する作戦を準備している」と発言しています。一連の経緯を踏まえて、エルドアン大統領は「米国はトルコがYPG攻撃に踏み切ることを分かっていて撤退したのだろう」と考えたのだと思います。

 先ほどお話しした歴史的経緯を踏まえると、米軍が残っていても再びYPG攻撃に走った可能性も否定できません。

実際にトランプ大統領は10月6日、「トルコによる軍事作戦に関与しない方針だ」と発言しています。トランプ大統領自身は当初、トルコによるYPG攻撃を容認する考えだったのかもしれませんね。

新井:そうかもしれません。

 「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ大統領は、中東に米軍を残していてもよいことはないと考えたのでしょう。中東から米軍を撤退させると公約していますし。

 ただしイスラエルとの緊密な関係があるので、100%手を引くことはできません。なので、NATO(北大西洋条約機構)の加盟国であるトルコ、同盟国であるサウジアラビアにある程度の軍事力を維持しつつ、その他の地域からは撤退する考えなのでしょう。トルコにはNATOの作戦部隊が駐留しています。加えて、インジルリクの空軍基地に米軍が核兵器を配備していると言われています。これらを残した状態で、他の地域のプレゼンスをさらに縮小していくのではないでしょうか。

トルコはYPG攻撃の理由として、安全地帯の設置に言及しています。トルコに避難しているシリア難民を帰還させるための措置です。これは、単なる口実なのでしょうか。

新井:いえ、これも攻撃に踏み切った大きな理由と考えます。現在、トルコ国内に暮らすシリア難民は300万人を超えるといわれています。トルコにとって少なからぬ負担です。

 先ほどお話しした2018年のクルド攻撃の後、シリア難民の一部がトルコから帰還している実績もあります。

アサド政権を巻き込み、混迷の度を増す

トルコからの攻撃を受けて、YPGはアサド政権と手を組みました。これは、トルコにとって想定されていたことですか。

新井:これに関してエルドアン大統領は何も発言していません。ただし、想定の範囲内だったと思います。同大統領は「テロリストと交渉はしない」と語っていました。裏返して考えれば、アサド政権であれば交渉相手になるということです。YPGが、トルコと交渉する相手としてアサド政権を選ぶことは考えられます。

 それに、クルド人は周囲の様々な国から迫害を受け、米国にも旧ソ連にも裏切られてきた歴史を持ちます。生き残るために誰と組んでもおかしくありません。

クルド人はこの100年の間、裏切られ続けてきました。1940年代には、ソ連とイランが対立する過程で、イラン国内にクルド人勢力が打ち立てた自治国家をソ連が支持した。しかし、ソ連が引き上げ、クルド自治国家はその幕を閉じることになりました。

 米国には1970年代にも裏切られています。イランが米国を説得し、イラクで反政府活動を続けるクルド人勢力を支援させました。しかし、イランはイラクと話を付け、クルド人勢力を裏切った。このため、米国も彼らへの武器供与を停止することになりました。

 シリアに暮らすクルド人は、シリアという国に帰属している意識があるのですか。

新井:数が少ないこともあり、それほど独立を意識してこなかったようです。それでも、チャンスがあれば独立もしくは自治権を獲得しようという気持ちは持っているでしょう。かつてバッシャール・アル・アサド大統領が「地方自治であれば受入れ可能」という発言をしたことがあります。

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