
ロシアのウクライナ侵攻に端を発するエネルギー危機の中、日本の資源調達における政府と企業の関係に変化が見られる。
これまで日本の資源調達は、基本的に民間企業が調達の中心となり、政府は融資や貿易保険を通じて間接的に関与してきた。民間企業の「経済性」を重視し、その「経済性」を担保する手段の1つとして、「エネルギー安全保障」に基づく支援を政府が提供してきた。1973年の石油危機以降に日本が進めた資源調達の多角化も、「エネルギー安全保障」を目的に無条件で取り組んだのではなく、企業のリスク分散と収益の安定化にも寄与することから、積極的に進めてきたのである。
ところが、ウクライナ危機によって生じた、ロシア・サハリン沖の大規模開発事業「サハリン2プロジェクト」を巡る「日本企業の出資継続」という判断には、企業の「経済性」よりも、「エネルギー安全保障」に基づく政府の要請が大きな影響を与えているように思われる。
米国に敵対する国から資源を得るための「民間主導」
日本の資源調達を民間企業が主導する形の起源は、明治政府が財政難を理由に、エネルギー産業を民間企業に対し積極的に払い下げた取り組みに遡る。その後、1970年代に起きた2度の石油危機によって、エネルギー安全保障が国家的課題となった際にも、日本はエネルギー産業を国営化することなく、民間主導の資源調達を維持した。
この背景には、(1)「資源調達の多角化は経営の安定に資する」と民間企業が期待したことに加え、(2)日本政府が「米国と敵対するソ連やイランなどからの資源調達を、米国を過度に刺激することなく進めたい」との思惑を持ったことがあった。当時は冷戦期であり、「企業の活動に政府は過度に介入すべきではない」という資本主義の原則が、米国をはじめとする西側諸国内で一定の説得力を持っていた。
2度の石油危機はその後、原油価格の上昇をもたらし、採算面で課題のあった北海やメキシコ湾などの新規油田の開発を促進させた。また74年に発足した国際エネルギー機関(IEA)が石油備蓄を促進。世界で、省エネルギー対策やエネルギー源の多角化が進み、資源の需給は安定の度を高めた。こうして資源は市場を通じた売買がより自由にできるようになり、民間企業による資源調達がさらに活発化していった。
Powered by リゾーム?