サバハ前首長と大平外相の不協和音
さて、そのサバハ前首長は1929年、第10代首長、アフマドの息子として生まれた。クウェート最初の近代的な学校といわれるムバーラキーヤ学校で教育を受けたのち、宮廷で家庭教師について学んだ。1954年以降、政府の要職を歴任。1963年には外相に任命され、2003年まで長くその地位にあった。2003年、当時の首相、サァド皇太子の病気を受け、首相に指名される。2006年にジャービル首長(当時)が死去し、後継のサァド首長(同)の廃位を受けて、首長位に就いた。
これだけ長期にわたって外相として活躍した人物は、隣国サウジアラビアの故サウード外相ぐらいであろう。日本の外務省によれば、サバハは外相、首相、首長として7度訪日している。
なかでも特筆すべきは1964年の訪日であろう。この年4月27日、サバハ外相(当時)は日本を訪問、30日には昭和天皇に拝謁、池田勇人首相(同)とも会談した。問題が起きたのは5月1日の大平正芳外相との会談であった。大平外相は会談中、こともあろうに居眠りをしたり、ちらちら時計を見たりしていたという。しかも、 残り2817文字 / 全文5799文字 「おすすめ」月額プランは初月無料 会員の方はこちら 日経ビジネス電子版有料会員なら 人気コラム、特集…すべての記事が読み放題 ウェビナー日経ビジネスLIVEにも参加し放題 バックナンバー11年分が読み放題この記事は会員登録で続きをご覧いただけます
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