東日本大震災から10年、日台の友好を表す碑の除幕式が執り行われた(写真:ZUMA Press/アフロ)
東日本大震災から10年、日台の友好を表す碑の除幕式が執り行われた(写真:ZUMA Press/アフロ)

(前編「「日中」国交正常化50年は「日本・台湾」関係強化の50年でもある」はこちら)

 東日本大震災から1年たった2012年3月、日本政府主催で震災1周年追悼式典が行われた。台湾代表として羅坤燦・駐日副代表も出席した。ところが羅氏は指名献花から外され、外交使節団が着席する会場1階の来賓席ではなく2階の一般席に案内された。これは外交関係がないという「72年体制」に従った事務的措置であった。

 しかし、この措置に対して日本国内から「台湾に対してあまりにも非礼だ」と批判の声が上がった。当時、ある日本政府職員は「抗議の電話が殺到して仕事にならなかった」と筆者に語った。この問題は国会でも取り上げられ、野田佳彦首相(当時)が「台湾のみなさんのお気持ちを傷つけるようなことがあったら本当に申し訳ない、深く反省したい」と表明した。これは日本政府が人道的な問題で一歩踏み出す契機となった。

 翌13年3月、安倍晋三政権は、東日本大震災2周年追悼式典に台湾の沈斯淳・駐日代表を招待した。これに対し中国が抗議し駐日中国大使の式典出席をボイコットした。安倍首相は自身のフェイスブックで、「台湾に対し感謝の意を込めて『指名献花』をしていただくことにいたしました」と書いた。これに対する「いいね!」の件数はそれまでの安倍氏の投稿の中で最も多かった。反響の大きさから日本国民の支持が読み取れる。

「日台」関係は、「日中」そして「台中」関係の裏面

 同3月、野球の日台戦(2013ワールド・ベースボール・クラシックの予選第2ラウンド)が東京ドームで開催された。球場の内外で非常に多くの日本人の野球ファンが、対戦相手の台湾の選手と台湾から来たサポーターに声援を送った。それは台湾メディアとSNSを通じて台湾にも還流し、「日台のエールの交換」が定着していった。

 東日本大震災から何年たっても台湾への感謝の気持ちは続いていた。台湾人が日本を旅行したときのSNSの投稿やシェアには、被災地から遠く離れた地方の店で「台湾から来た」ことが分かると「ラーメンをただにしてもらった」「居酒屋で一品サービスがあった」「タクシー代を割り引きしてもらった」といった話がたくさんあった。恩義をいつまでも大事にする日本人の価値観は台湾人にも伝わった。

 実は、台湾は日本に対してだけでなく、08年の中国の四川省大地震でも多額の義援金を送った。これは、民主化後の台湾で人道援助の価値観がしだいに定着したことを示す。中国政府も台湾に謝意を表明した。また、中国政府は09年に台湾が水害に遭った際、巨額の義援金を台湾に送った。しかし、だからといって台湾に対する中国の統一圧力や嫌がらせが減ることはなかった。

 台湾人は日本と中国それぞれとの交流を通じて、中国の価値観との距離、日本の価値観との近さを実感していった。価値観の共有やズレは好感度に影響する。日台関係はよく日中関係のコインの裏面と言われるが、日台関係は中台関係と裏表の関係でもある。日台は、大きな災害が発生するたびに安否を気遣ったり、支援を申し出たり、励ましあう関係になった。

台湾との間にも存在する尖閣問題

 13年4月、日本と台湾の間で日台漁業協定(正式には「日台漁業取り決め」)が締結された。東日本大震災を契機に日台関係が一気に良くなったと思いがちであるが、実は「喉に刺さった骨」があった。それは尖閣諸島(台湾側の呼び名は釣魚台列嶼)をめぐる主張の対立と関連水域での漁業問題である。この問題は日本と中国との間だけではなく、日本と台湾との間にも存在し、時に台湾側で大きな抗議行動が起こった。

 12年の日本政府による尖閣諸島国有化に対し、台湾の馬英九政権も強く抗議した。国有化直後には、台湾の漁船40隻と台湾の海巡署の巡視船12隻が尖閣諸島周辺の日本の領海を航行し海上抗議活動を実施し、警備に当たる海上保安庁の巡視船との間で放水合戦まで発生した。

 一般の台湾人の間で尖閣諸島をめぐる領土問題への関心が高いわけではなかったが、漁民は日本に対し不満を高めていた。台湾では農漁民への共感があり、漁民が日本から不公正な扱いを受けているという印象は広がりやすかった。さらに、日台を離間させたい中国は、領土問題で台湾に共闘を呼びかけるなどして揺さぶってきた。

 馬英九政権は「東シナ海平和イニシアチブ」を打ち出し、争議を棚上げし対話を呼びかけ、具体論として「漁業」での対話を強調した。これに対し、野田政権は、台湾側の「イニシアチブ」を評価する「玄葉外相メッセージ」を発した。しかし、双方の領土の主張と排他的経済水域(EEZ)の考え方が対立し、日台漁業交渉は長年の膠着状態から抜け出せないでいた。

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