女子旅でも修学旅行でも台湾人気

 日本政府は、2005年9月、台湾人観光客がビザを申請しないで90日間日本に滞在できるビザ免除の措置を開始した。台湾は早い段階の1994年から日本人観光客に対し5日間のビザ免除を開始(のちに3カ月に拡大)していたので、2005年に相互ビザ免除が実現した。

 その後、11年に日台で締結された「オープンスカイ協定」により航空路線設定の自由度が増し、日本の地方空港にも台湾便が開設され、新規の格安航空会社(LCC)が参入し航空券の料金が大きく低下した。こうした措置が双方の旅行者数拡大の起爆剤になり、特に台湾人の日本への旅行者数が大幅に増加した(図)。

出所:JTB総合研究所の資料を参照し筆者作成
出所:JTB総合研究所の資料を参照し筆者作成

 10年代、台湾で日本への個人旅行ブームが起こり、台湾人旅行者は新たな日本の魅力を求めて団体客が行かない日本の田舎を旅するようになった。そして行く先々での写真や体験をSNS(交流サイト)に投稿し、それがまた新たな旅行の意欲を引き出した。

 新型コロナウイルス禍でブレーキがかかる前の19年、日本から台湾への旅行者は217万人、台湾から日本への旅行者は489万人に達した。台湾の人口が約2300万人であるから、台湾人の日本旅行の密度は非常に高い。台湾にとっても日本人旅行者は中国人旅行者に次ぐ数で、存在感は大きい。

 日本人にとって台湾は、近くて手軽な海外旅行先として人気を集めている。「美食、お茶、占いといった女子旅イメージ」も醸成され、また、高校生の海外修学旅行先としても台湾が第1位となっている(『台湾を知るための72章』赤松美和子・若松大祐編著)。相互ビザ免除は、日台の地方自治体交流や諸団体の交流も後押しした。

「ビザ免除」は「現状維持」の支え

 ビザ免除はグローバルな潮流であるから特筆に値しないという意見があるかもしれない。しかし、多くの国が台湾と国交がないにもかかわらず台湾人旅行者にビザ免除の待遇を与えたことは興味深い。仮に日本が中国に忖度(そんたく)をして、台湾との人の往来を規制していたらどうなっていたであろうか。日台関係は今とは異なったものになっていたであろう。

 日本は1990年代まで政府交流は規制していたが民間交流についてはまったくオープンであったし、経済関係の拡大は後押ししていた。2000年代以降は少しずつであるが「72年体制」の枠で柔軟な対応が見られるようになった。例えば、総統を退任した李登輝氏への訪日ビザの発給は中国の横やりがあり何度も政治問題化したが、台湾人旅行者へのビザ免除の措置により李登輝訪日問題にも終止符が打たれた。

 国際的に孤立させられている台湾にとって、日本との交流は大きな意味を持った。外交関係が断たれても経済や市民レベルの交流は維持され、しかも年々拡大したことで、台湾は次第に「やっていける」という自信を持つようになったのである。ビザ免除はさらにその自信に寄与した。台湾人が諸外国の国民と同じようにビザ免除の待遇を受けて自由に日本を旅行していること自体が、中国の統一圧力が強まる中での「現状維持」の支えとなったのである。

 また、台湾から見て、日本人との交流は安心感がある。戦後の日本社会は国家意識が比較的薄く、日本の国家利益のためにどうこうしようと考えて台湾と交流する日本人は少ない。ところが中国は違う。台湾との交流にかかわる中国の様々な行為には、統一を進めるのに有利かどうかの判断がつきまとう。中国との付き合いの中でだんだん疲れてくる台湾人は少なくない。他方、日台の間には、旅行を通じて「居心地のよさ」を感じ、それが相互の好感度につながるという循環がある。

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