タリバンが首都カブールを“無血開城”させたことの意義は大きい(写真:Abaca/アフロ)
タリバンが首都カブールを“無血開城”させたことの意義は大きい(写真:Abaca/アフロ)

タリバンがアフガニスタン全土を掌握。米国が2001年にタリバン政権を打倒してから20年で、状況は"振り出し"に戻ったように見える。だが、果たしてそうだろうか。現在のタリバン政権は、20年前と異なり、国家と承認されることを重視している。米国はしぶるが、中国とロシアはイスラム過激派勢力の影響が自国に及ばないことが保証されれば、承認する可能性がある。もう1つは、インドに与える影響だ。対中国で米国が重視するインドの周辺環境を、インドに不利な方向に回転させる懸念がある

 アフガニスタンのイスラム主義組織タリバンが8月15日、首都カブールを制圧し、全土掌握を宣言した。17日にはナンバー2のアブドル・ガニ・バラダル師がカタールからアフガン入りし、新体制づくりに着手したことも伝えられた。

 米軍がアフガンに侵攻し、タリバン政権を打倒してから約20年。米軍は撤退し、米国を中心に国際社会が支えた政権は崩壊、アフガニスタンをめぐる状況は“振り出し”に戻ってしまったように見える。

 しかしタリバン報道官は17日、敵対勢力に恩赦を与え、女性の権利も尊重するとの声明を発表するなど、穏健な姿勢ものぞかせている。

 20年に及んだ反米、反政府活動を経て復権したタリバンは、かつてのタリバンと何が違い、何が同じなのだろうか。違いがあるとすれば、それによって今後のアフガニスタンはどのように変化していく可能性があるのだろうか。

国際的に孤立していたかつてのタリバン政権

 タリバンは1996年から2001年までアフガニスタンを統治していた。当時のタリバンは預言者ムハンマドが生きていた頃のイスラム社会を理想とし、そこに回帰することを目指していた。メンバーの多くは、パキスタンの難民キャンプにあるイスラム神学校「マドラサ」で厳格なイスラム教育を施され、アフガニスタンの歴史や文化を知ることなく純粋培養で育てられたイスラム急進派だった。

 そんなタリバンは、イスラム法を厳格に国民に対して強要。女性が学校で学ぶこと、社会で職に就くことを禁じ、女性が夫や親族の同行なしに1人で外に出ることも禁じた。また男性が顎ひげをそること、音楽、サッカー、テレビなどの娯楽に興じることも禁止していた。そうした禁止令を守らせるために宗教警察が社会を監視するような国をつくってしまった。

 そんなタリバンを、外国勢力であるパキスタンの軍や情報機関が強力に支援した。パキスタンはインドとの対抗上、アフガニスタンを友好勢力に統治させることに戦略的な利益を見いだしていた。また、当時は中央アジアの石油をアフガニスタン経由でパキスタンに運ぶパイプライン建設計画にも力を入れていた(関連記事「米・タリバンの和平合意、力の空白が生み出す新たなパワーゲーム」)。

 さらに当時のタリバンには、アラブの義勇兵も加わっていた。この義勇兵たちは、アフガニスタンからソ連(当時)軍を追い出したかった米国が、1980年代に秘密工作によってつくり出した勢力だ。イスラム教徒の若者たちを世界中からパキスタンに集め、軍事訓練を施して、“聖戦の戦士”に育て上げた。そんな彼らをアフガニスタンに送り込んでソ連軍と戦わせたのである。

 よく知られているように、この米国の反ソ秘密工作をサウジアラビアが資金援助した。その過程でサウジ出身のウサマ・ビンラディンがアラブ義勇兵たちを組織化して後の国際テロ組織アルカイダをつくった。こうした縁から、タリバン統治下のアフガニスタンには、アルカイダはもちろん、中央アジアやウイグル系のイスラム過激派組織も拠点を築くようになった。アフガニスタンがテロ組織の“聖域”と呼ばれるようになったゆえんである。

 当然、そのようなタリバン政権を外交的に承認する国は少なく、承認したのはパキスタン、サウジアラビアとアラブ首長国連邦(UAE)の3カ国だけで、同政権は国際的に完全に孤立していた。

続きを読む 2/3 当時と現在のタリバン、何が違い、何が同じなのか?

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