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マクロン大統領が担ぎ出したダークホース

 しかし欧州理事会でマクロン大統領は、ヴェーバー氏とティメルマンス氏に強く反対し、それまで筆頭候補ではなかったフォンデアライエン氏を推挙した。この人事は、ドイツの政界、言論界でも予想外の出来事だった。各国首脳はEU委員長候補が長期間にわたって決まらない事態を避けるため、フォンデアライエン氏の指名に合意した。

 マクロン氏はEU委員長の座をドイツに譲る代わりに、ECB総裁の座にフランス人(国際通貨基金のクリスティーヌ・ラガルド専務理事)を就けることに成功した。ECB総裁には欧州議会の承認は不要。ラガルド氏は経済学者ではなく、弁護士である。マクロン大統領にとって、欧州経済の景気の動向を大きく左右するECB総裁にフランス人を就けたことは重要な勝利である。

 これも、かつて欧州の女帝と称されたドイツのアンゲラ・メルケル首相の力の弱まりと、欧州のリーダー国の地位をドイツから奪おうと試みるマクロン大統領の影響力の増大を示す出来事だ。

 EU委員長選定プロセスの透明化を図るべく導入された筆頭候補モデルをマクロン氏が一蹴し、EUトップ人事はかつての密室政治に逆戻りした。これが、欧州議会議員の43.8%がフォンデアライエン氏に反対した最大の理由である。社民党会派と緑の党の会派は採決前から、同氏に反対する意向を表明した。保守会派EPPからも約20人の造反者が出た。

 フォンデアライエン氏はドイツ国内では高い評価を受けていない。社会保障や労働問題には詳しいものの、安全保障や外交政策では実績が少ない。特に国防大臣として連邦軍幹部との間に信頼関係を築くことに失敗し、保守派や安全保障関係者からの評価は低い。

 例えば2017年にネオナチの思想を持った連邦軍兵士が、難民に対する社会の批判をあおるために、外国人を装ってテロ事件を計画して逮捕される事件があった。この時にフォンデアライエン氏はテレビ・インタビューで「連邦軍全体の問題だ。上層部の指揮に原因がある」と述べ、連邦軍側から「軍全体を、一部の不心得者と同一視するのは不当だ」と猛反発を受けた。軍事専門家からは、「ロシアの脅威が高まる一方で、連邦軍の兵器の整備状態が悪いために、実戦で直ちに使用できる兵器の比率は非常に低い」という批判も出ている。

 欧州議会で保守派のドイツ人議員がフォンデアライエン氏を拒絶した裏には、同氏に対する国内での評価の低さもあったに違いない。

 つまりフォンデアライエン氏は、欧州議会議員たちの絶大な支持を受けてEU委員長という要職に就くわけではない。このことは約3万人の職員を擁し、約5億人の市民の生活を左右する「欧州政府」を率いる上で、「重し」となる可能性がある。

 欧州議会は現在、新しい法案を提案する権利は認められていない。この点も、EUにおける民主主義の欠如の表れと見られてきた。フォンデアライエン氏が演説の中で、「欧州議会に法案の提案権を与えるべく、改革に努めたい」と述べたのは、議員たちの不信感を和らげようとする努力の表れだ。

BREXITの延期に柔軟性

 演説の中でフォンデアライエン氏は、BREXITについても触れた。彼女は「BREXITについて語らずに、欧州について語ることはできない」とした上で、「英国の有権者の過半数が2016年にEUを去ることに賛成したことを、遺憾に思う。しかし我々はその決定を尊重する」というこれまでのEU指導部の公式的なコメントを踏襲した。ただし同氏は「もしも必要ならば、離脱の期日をもう一度延期することに合意するだろう」と述べ、離脱時期については柔軟な姿勢を示した。

 英国では7月24日に、BREXIT派を率いる急先鋒(せんぽう)の1人ボリス・ジョンソン氏が首相に就任した。彼はテリーザ・メイ前首相がEUとの間で合意した離脱協定を変更すべく、EUと交渉する方針を打ち出したが、EU側は再交渉を拒絶している。ジョンソン氏はEUとの合意が得られない場合は、遅くとも10月31日にEUから離脱することを約束した。

 フォンデアライエン氏がまだ委員長に就任していない以上、BREXITについて踏み込んだコメントを行わないのは無理もない。離脱協定をめぐる英国とEUの立場が今後3カ月の間平行線をたどる限り、フォンデアライエン氏が委員長になる日(11月1日)に、彼女は欧州第2の経済パワー・英国を失った後のEUを引き継ぐことになる。

 英国の首都ロンドンはEU離脱後も欧州最大の金融センターであり続ける。ロシアやイランとの緊張が高まる中、英国との安全保障上の協力関係はEUにとって極めて重要だ。多くのEU諸国と英国は、欧州の安全保障の要である北大西洋条約機構(NATO)の加盟国でもある。

 フォンデアライエン氏は演説の中で「英国はいつまでも我々の同盟国、パートナーであり、友人であり続ける」と語った。同氏は、離脱後の英国政府との良好な関係の維持をめざすに違いない。

  ただしフォンデアライエン氏は「EUを分断しようとする勢力にとって、私は手ごわい敵だ」と断言している。彼女は委員長就任後、ポピュリストたちに対して厳しい態度を取る可能性もある。彼女の父親は、後にドイツ・ニーダーザクセン州の首相となるエルンスト・アルブレヒト。彼女は、父アルブレヒトがEUの母体である欧州石炭鉄鋼共同体に派遣されて働いている時にブリュッセルで生まれた。その意味で、フォンデアライエン氏には「EU人」の血が流れている。自分を形成したEUを弱めたり破壊しようとしたりする者に対しては、徹底的に戦おうとするだろう。