
6月に終了したASEAN(東南アジア諸国連合)首脳会議で、控えめながらもミャンマーのロヒンギャ問題が取り上げられた。
ミャンマー政府が認めないロヒンギャという言葉は議長声明にはなく、ロヒンギャの住むミャンマー西部ラカイン州の人道問題という表現にとどまった。しかしながら、加盟国相互の主権尊重を重視するASEANの首脳声明に、国内問題の言及があるのはやはり印象的である。エスニシティーの政治に注目する限り、アウン・サン・スー・チー国家最高顧問率いる国民民主連盟(NLD)政権は発足当初の期待を大きく裏切っていると言わざるを得ない。
他方、昨年あたりから経済問題に取り組む体制を整えつつあるようだ。本稿では、東アジアの経済成長を特徴づけてきた政治の在り方を整理したうえで、政権発足から3年以上がたつミャンマーの政治の今について考えてみたい。
「経済ナショナリズム」から「経済成長の政治」へ
東アジアの経済成長を考えるとき、「経済成長の政治」という観点がある(詳細はTakashi Shiraishi and Tetushi Sonobe eds, Emerging State and Economyなどを参照)。もともとは第2次世界大戦後に米国の経済成長を支えた政治連合を説明する概念であった。冷戦が本格化する中、階級対立を前提とした富の分配ではなく、経済成長による富の拡大によって階級対立そのものを解消することを目指す政治の在り方を指す(なお、米国政治分析では「生産性の政治」というが、新興国の分析においては「経済成長の政治」のほうが実態を表していると考える)。東南アジアにおいては、インドネシアのスハルト政権、シンガポールのリー・クアンユー政権、そしてマレーシアのマハティール政権などの政治が典型例とされる。
政府が経済成長を目指すというだけでは、いかにも当然のように思われるがそうではない。上記の各国において、それぞれの政治指導者が登場する以前には経済ナショナリズムを前提にした経済政策が採られていた。そこでは、富の拡大ではなく、富の分配が問題になっていた。
例えば、日本ではブミプトラ政策という通称が使われることの多いマレーシアの新経済政策に見られるように、エスニシティーの違いを前提とする分配の政治を重視していた。実際、首相就任以前のマハティール氏は、ウルトラと呼ばれるマレー人の権利を主張する運動のメンバーであった。しかしながら、首相就任後は、マレー人優遇政策を緩和し、華人資本を活用しつつ、外資も積極的に誘致するなど、経済成長の政治の実現にまい進した(マハティール氏の政治については、クー・ブー・テック氏の一連の業績が参考になる)。
首相就任後、マハティール氏はマレー民族主義を抑え、エスニシティーにかかわらずマレーシア人全ての繁栄を目指す政権運営を行った。マレー系のナジブ首相とマハティール元首相が衝突した2015年の選挙に見られるように、マレーシア政治においてエスニシティの政治は後景に退いた。
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