バイデン副大統領は安倍首相の靖国参拝を懸念

【ブッシュ元大統領】

●安倍氏が2006年に初めて首相を務めた際に、私は彼を知る機会に恵まれ、思いやりのあるしっかりした人物だと感じていた。彼は国のために奉仕し続けたいと願う愛国者だった。(8日 メッセージ)

 ブッシュ大統領との交流は第1次安倍政権だった。筆者は、安倍首相の初訪米に同行させてもらった。当時の安倍夫妻のブッシュ夫妻に対する心遣いと事前準備は、訪米の際のローラ夫人への贈り物からプライベートの会話の中身まで、実に周到かつ入念だったことを今も鮮明に覚えている。首脳外交のために「安倍さんはここまでするのか」と当時思った。今振り返ってみれば、あれが安倍晋三独特の外交スタイルだったのだと思う。

【バイデン大統領】

●ご遺族や日本だけでなく、世界にとっての損失だ。平和の人であり、判断力のある人物だった。(8日 在米日本大使館に弔問して記帳)

●オバマ政権の副大統領時代に何度もやりとりした。安倍氏は日米両国の同盟関係を強化することや、自由で開かれたインド太平洋の実現に向けて真剣に取り組んでいた。大変尊敬している。(8日 演説冒頭)

 バイデン大統領の発言は額面通り受け取ってよいだろう。だが筆者は、バイデン氏が触れなかった部分に注目した。2013年の秋、当時のバイデン副大統領は安倍首相が靖国神社を参拝するのではないかと懸念を深めていた。それにもかかわらず、同年年末、安倍氏は最終的に参拝を「強行」した。バイデン大統領がそのことを忘れているとは思えない。

 しかし、筆者の見るところ、あの時の「靖国参拝」には安倍氏なりの理由があった。以上を前提に、中国の習近平国家主席の「弔電」を見ていこう。

習近平氏とは「ボタンの掛け違い」のまま

【習近平国家主席】

●中国政府と国民を代表し安倍氏の突然の死に痛惜を感じる
●私はかつて、中日関係の構築について安倍氏と重要な合意に達した
●岸田首相とともに、(1972年の日中共同声明など)4つの政治文書で示された原則に基づき中日両国の善隣友好の協力関係を発展させ続けることを望む(9日 岸田首相宛の弔電)

 数ある外国要人の安倍氏追悼メッセージの中で、習国家主席ほど安倍氏に対する個人的な心情を封印した要人は他にいない。それは、形式が岸田首相に対する弔電だったから。いや、それだけではないだろう。習国家主席は最後まで安倍氏を「友人」とも、「偉大な指導者」とも呼ばなかった。「恐らく、それが中国側の本音だからではないか」と筆者は邪推している。

 習国家主席の弔電に「私はかつて、中日関係の構築について安倍氏と重要な合意に達した」とある。その「合意」なるものの実態は日中間の「同床異夢」だった。2012年に発足した第2次安倍政権は、2006年に合意した「戦略的互恵関係」を再確認するよう中国に求めた。けれども、中国は逆に尖閣諸島に関する新たな了解を求めたため、合意に至らなかった。恐らく習国家主席氏も、安倍氏も相手を信用できなかったのだろう。

 当時の安倍氏による「靖国参拝」には、「約束を履行する」という日本国内の保守勢力に対するメッセージと、尖閣問題をめぐる中国の姿勢に対する反発を示すという、2つのメッセージが込められていた――。筆者はこう理解している。以降、日中間で様々な関係改善の動きが模索されたが、結局はいずれも成就しなかった。その最大の理由は、2013年の「ボタンの掛け違い」であった。

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