中国経済の発展に、鄧小平が進めた改革開放政策は貢献したが、果たしてそれだけがけん引役だったのか(写真:アフロ)
中国経済の発展に、鄧小平が進めた改革開放政策は貢献したが、果たしてそれだけがけん引役だったのか(写真:アフロ)

 7月1日、中国共産党が結党100周年記念式典を開催した。米メディアは「習近平(シー・ジンピン)ただ1人を礼賛するイベント」と報じ、日本の主要紙社説は「誰のための統治なのか」「分断を招く大国では困る」「強国路線拡大には無理がある」などと批判的に論じた。筆者も、「習総書記の、習総書記による、習総書記のための共産党」が続くと直感した。それにしても、「中山装(人民服)」から子供たちの大量動員まで、何とも新味のない、ベタな演出であった。

 要するに、「中国を救えるのは共産党だけであり、党の強固な指導を堅持すべし。中国は決して『教師』のような偉そうな説教を受け入れない。国防と軍隊の近代化は加速するが、中国人民は暴力を恐れず、外部勢力によるいかなるいじめ、圧力、奴隷のごとき酷使も許さない。台湾問題解決は党の歴史的任務であり、中国人民の決心、意志、能力を見くびってはならない」ということだ。従来の立場を変えるつもりなど毛頭ないのだろう。

 習近平体制に対する内外の政治的評価はほぼ固まりつつある。筆者も現時点で追加すべきコメントは少ない。されば、今回は視点を変えよう。中国内政の安定性や対外政策の行方などの議論は他の優れた識者にお任せし、本稿では習近平総書記の「歴史認識」に焦点を当ててみたい。毎度のことながら、以下はあくまで筆者の個人的分析である。

太平天国の乱、義和団事件、辛亥革命はいずれも失敗

 7月1日の結党100周年演説は、近現代中国史に言及した部分が少なくない。ここからは、過去200年の近現代史該当部分を演説の流れに沿ってご紹介の上、それぞれにつき筆者の率直なコメントを付け加えていこう。

 演説冒頭で習総書記は、1840年のアヘン戦争に言及し、それ以降、中国が半植民地、半封建社会となり、中華民族は前代未聞の災禍に見舞われた、と振り返っている。

【筆者コメント】アヘン戦争・南京条約は近代中国に対する西洋列強からの強烈な「文化的挑戦」だった。中国のエリートたちは今もこれらを受け入れたことのトラウマにさいなまれているはずだ。1840年代以降、中国人はこの「西洋文明からの衝撃」に対応すべく、考え得るあらゆる対応策を試みてきたが、こうした努力はことごとく失敗している。

 次に習総書記は、民族存続の危機から国を救うため、中国では太平天国の運動、戊戌(ぼじゅつ)の変法、義和団の運動、辛亥革命が相次ぎ起きたが、いずれも失敗に終わった、と総括している。

【筆者コメント】 確かに、アヘン戦争に対する中国の最初の対応は「太平天国の乱」だった。客家の洪秀全がキリスト教と土着民間信仰を融合して始めた民衆運動である。一種の原始共産社会を目指す過激な改革運動だった。これは結局、外国からの支援を得た清朝により鎮圧されてしまう。

 第2の対応は、1860~70年代の曽国藩・李鴻章らによる「洋務運動」だった。なぜか習近平演説はこれに言及していない。清朝によるこの改革運動も、宮廷改革ゆえに挫折してしまう。

 続く第3の対応が、1898年の光緒帝による「変法自強運動」であった。これも大胆な制度改革など内容が急進的すぎたため、西太后に潰されてしまう。

 第4の対応は1900年の義和団事件、そして第5の対応が1911年の孫文による辛亥革命だった。どちらも民衆の支持や軍事力の裏付けがなく、習近平演説の言うとおり、「いずれも失敗」に終わった。辛亥革命に至るまでの中国現代史に関する限り、筆者の見立てと中国共産党の「歴史認識」がほぼ同一であることは興味深い。

続きを読む 2/2 中国の経済成長は、日米との国交正常化あ

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