日本政府が7月1日、韓国向け輸出に対する管理を厳格に運用すると発表した。徴用工訴訟をめぐる韓国政府の対応への事実上の対抗措置とみられている。この措置は果たして適切なのか。効果はあるのか。韓国経済に詳しい向山英彦氏に聞いた。
(聞き手 森 永輔)
河野太郎外相と韓国の康京和外相。日韓関係の行方は(写真:AP/アフロ)
日本政府は7月1日、韓国向け輸出に対する管理を厳格に運用すると発表しました。対象は、フッ化水素など半導体や有機ELの製造に使用する3製品。包括輸出許可制度からはずし、個別に審査することになります。
突然の発表だったので驚きました。
向山:全くです。徴用工問題をめぐって、日本政府が何かしらの措置を講じることはある程度、想定していました。しかし、このタイミングには驚きました。安倍晋三首相が20カ国・地域首脳会議(G20サミット)で議長を務め、自由貿易を堅持する考えを強調したばかりですから。
向山 英彦 (むこうやま・ひでひこ)
日本総研 調査部上席主任研究員
専門は韓国を中心にしたアジアの経済動向分析。中央大学法学研究科博士後期過程を中退したのち、ニューヨーク大学で修士号を取得。証券系経済研究所を経て、1992年さくら総合研究所入社。2001年から現職。(写真:加藤 康)
私は、政府が動くとしたら、日本製鉄など徴用工訴訟の被告企業が韓国内に持つ資産が現金化されてからと思っていました。
現金化が予定されていたのは8月ですね。なぜ、それより早まったと思いますか。
向山:韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権に対して日本政府が抱く不信感が、非常に高いのでしょう。徴用工問題だけでなく、元慰安婦のため設立した和解・癒し財団の一方的解散、自衛隊のP-1哨戒機に対するレーダー照射問題など、数々の案件が積み上がり、そのいずれに対しても韓国政府はゼロ回答を続けてきましたから。
徴用工訴訟で韓国大法院が下した判決について、韓国政府は当初、司法の判断を尊重する一方、日韓関係にダメージが及ばないように努めると表明しました。日本政府は辛抱強く韓国側の提案を待ちましたが、具体策を出してきませんでした。そこで日本政府は、日韓請求権協定に定められた通りに、まずは2国間の話し合い、そして仲裁委員会への付託への同意要請と、順にステップを進めてきました。
しかし、韓国側が仲裁に応じる姿勢を示さなかったため、業を煮やしたのではないでしょうか。韓国政府がG20の前に提案した、同訴訟の原告を救済する新財団の設置は、日本政府にとって到底受け入れられるものではありませんでした。日本政府の立場は解決済みということですから。
注意したいのは、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の時に韓国政府は元徴用工の請求権は解決済みとする政府見解をまとめていることです。この政権は文在寅政権の前の進歩派で、文在寅氏も加わっていました。その政府見解を覆しているわけですから、日本政府が文在寅政権に対する不信感を募らせたのは当然かもしれません。
安倍首相は今回の措置を取ると、G20サミットの時にはもう決めていたのでしょうね。文在寅大統領と並んで握手した時、表情をかなりこわばらせていたのが印象的でした。
加えて、自民党内から突き上げがあったのだと思います。韓国政府に対する同党内の不信感は非常に強く、一部に「韓国との国交を断絶すべきだ」という意見さえあります。岩屋毅防衛相が6月、韓国の鄭景斗(チョン・ギョンドゥ)国防相とシンガポールで非公式に会談した際、笑顔で握手したとして、激しく批判されたのは記憶に新しいところです。
振り返れば、李明博(イ・ミョンバク)大統領が2012年、竹島に上陸した時も、自民党内で「制裁せよ」の声が高まりました。日本企業の韓国からの撤退を求める意見もありました。
7月21日には参院選を迎えます。安倍首相としては党の結束を図るとともに、強いリーダーであることを示す必要があったのでしょう。
参院選が絡むとなると、このタイミングであることがうなずけますね。私は7月18日に注目していました。日本政府は韓国政府に対し、徴用工訴訟に関して、第三国を交えた仲裁委員会を設置するよう要請しており、この日を期限にしています。徴用工訴訟の被告企業が持つ資産の現金化はもちろん、7月18日を待って今回の措置を取っても、参院選対策として間に合いません。
最初の行動で、より大きな効果を狙う
日本政府はなぜ、フッ化水素をはじめとする今回の3製品を選んだのでしょうか。
向山:推測ですが、最初の一手で、より大きな効果を上げようと考えたのだと思います。
半導体(多くはメモリー)は、韓国の輸出の20%を占める重要製品です。設備投資の面でも、サムスン電子やSKハイニックスなど半導体を生産する企業がけん引しています。コンピューター、スマホ、家電など多くの製品に搭載されています。したがって、この基幹産業の上流を締め上げることは、韓国経済に対して大きなインパクトを与えます。
審査を個別にすることは実質的にどれほどのインパクトがあるのでしょう。日本政府は、原則許可しない方針という報道もあります。
向山:そんなことはしないと考えています。全く許可しなければ、WTO(世界貿易機関)の規定に抵触する可能性もあります。加えて、その影響は、日本企業にも及びます。というのは、半導体製造に必要な材料や化学品、製造装置や計測器などを日本企業は韓国に供給しています。日韓の企業はサプライチェーンで結びついています。日本全体をみても、韓国は3番目の輸出相手国です。
さらに、韓国企業が生産するDRAMやNAND型フラッシュメモリーを利用する世界中の企業が影響を受けます。もし、そうなれば、日本は世界から批判を受けることになりかねません。
日本政府が世界から非難されることになるとしたら、徴用工訴訟をめぐる問題が良い方向に動いたとしても本末転倒ですね。
そもそも、今回の措置は目的に照らして適切な選択なのでしょうか。徴用工訴訟への対応を進めない韓国政府に対する「事実上の対応措置」といわれます。3製品の輸出管理を厳格にすることで、韓国政府の姿勢が変わるのでしょうか。むしろ、いたずらに、韓国内のナショナリズムを刺激することになりかねないのでは。
向山:私も、そこを懸念しています。
おそらく、日本政府もそうしたことを想定していると思います。私は、個別審査制にしたというのは、日本政府が状況をみながら輸出をコントロールできるようにするためだと考えます。輸出を禁止するのではなく、韓国政府の対応や経済への影響を見ながら調整する。
とはいえ、日本はもう少し我慢できたのでは、と思います。今回の措置は日本が先に手を出したという印象を与えてしまいました。日韓請求権協定に基づいた解決策を探るのが賢明だと思います。現在進めている仲裁委員会の設置、それがだめなら国際司法裁判所への提訴という具合に。時間はかかりますが。
韓国の対抗措置は歴史認識問題にいきかねない
韓国政府は対抗措置を講じる方針を明らかにしています。康京和(カン・ギョンファ)外相は「だまっているわけにはいかない」と明言しました。韓国はどんな対抗措置が取り得るでしょう。
向山:可能性はいくつか考えられます。第1は、今回の3製品について代替製品を探し、日本離れを加速させる。第2は日本からの輸入および日本への輸出を制限する。政府の調達から事実上日本企業を排除する。第3はWTOへの提訴ですね。ただし、いずれも、短期的には効果は望めません。
代替品探しについて、3製品において日本企業が7~10割近いシェアを持っているといわれています。代替品を短期間で探すのは不可能でしょう。
日本からの輸入を制限する措置は、韓国が自分で自分の首を絞めることにつながります。日韓はお互いに中間財を輸出入していますから。加えて、逆に韓国がWTO違反に問われる可能性があります。韓国は90年代まで、対日貿易赤字を削減すべく、輸入先多辺化品目制度と呼ぶ措置を講じて、自動車関連製品や家電、工作機械の輸入を制限しました。しかし、韓国がOECD(経済協力開発機構)に加盟する際に自由化が必要となり、撤廃することになりました。
日本への輸出を制限する措置は大きな効果が見込めません。日本企業も国内で韓国製の半導体を利用していますが、韓国の輸出は主として中国に向かいます。つまり、日本企業が中国で運営する工場で、韓国製の半導体が利用されているのです。
韓国政府が、日本が今回決めた措置をWTOに訴えても、違反と認めさせるのは難しいでしょう。経済産業省もその点は十分に考慮したと思います。ですが、影響が韓国以外に広がれば、日本への風当たりが強くなります。
韓国が貿易をめぐって有効な対抗措置を取るのは難しいわけですね。そうなると、浮上するのが歴史認識問題です。
向山:おっしゃる通りですね。例えば徴用工像の設置などを、今は地方政府が抑え込んでいます。こうした行動を容認するようになるかもしれません。
こうした事態になれば、日韓関係は一段と悪化しかねないでしょう。おそらく、日本政府は、そうした事態にならないよう輸出管理をコントロールするつもりだと思います。
日韓の企業同士の関係は良好
日本政府が今回取った措置は、米国を絡めた、日米韓関係に影響を与えるでしょうか。これまでは、安倍首相とトランプ大統領が蜜月である一方、トランプ大統領と文在寅大統領は疎遠という構図でした。しかし、板門店で行われた第3回米朝首脳会談を仲介したことで、文在寅大統領の“株”が一気に上がった感があります。
トランプ大統領が6月29日に金正恩委員長を板門店に誘い出すツイートをした後、文在寅大統領が金正恩委員長に応じるよう促したようです。これに対して、トランプ大統領がこれまたツイッターでお礼を述べています。トランプ大統領のムラのある性格を考えると、日米韓を結ぶ三角形の辺の長さが、これを機に変わる懸念があります。
向山:十分に考えられることだと思います。
そんなタイミングで、日本政府は今回の措置に踏み切りました。
向山:繰り返しになりますが、輸出管理を強化し、その影響が広がれば、日本は世界を敵に回す恐れがあります。逆効果です。この点を、日本政府は認識すべきで、輸出管理を適度なレベルにコントロールする必要があります。
韓国政府や韓国企業の関係者がどう考えているか、耳に入ってきた情報はありますか。
向山:2週間前に、サムスンの関係者と懇談した時、「日韓の企業間の関係は大丈夫」と話していました。良好だ、ということです。しかし、今回の措置は、その運営いかんによっては、日韓の企業が長年築いてきた信頼関係にダメージを与えかねません。
落としどころは、どこになるでしょう。
向山:民間企業が大きな役割を果たすかもしれません。今回の措置は、日韓のどちらの企業にも影響が及びます。参院選が終わった後、経済団体が動く可能性があると思います。
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