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ドイツ大統領がロシアと距離を置くよう勧告

 2015年にプーチン大統領は「ソ連崩壊は、21世紀最大の破局だ」と述べたことがある。かつてソ連の秘密警察KGB(国家保安委員会)の将校だったプーチン大統領は頭の中で、西側陣営を仮想敵国と捉えている。日米安全保障条約に基づき、米国と同盟関係にある日本も、ロシアにとっては仮想敵国である。

 ドイツのシュタインマイヤー大統領は、今年6月にフィンランドで行った演説の中で「ロシアを国際社会の一員として受け入れようとする試みは成功しなかった。欧州諸国はこれまでよりもロシアに対して距離を取るべきだ」と述べた。シュタインマイヤー大統領は中道左派の穏健な政治家であり、彼が属する社会民主党(SPD)は伝統的にロシアとの絆を重視してきた。その人物が公式の場でロシアに対して警鐘を鳴らしたのは、極めて珍しい。ロシアに対する西欧諸国の不信感がいかに強まっているかを表わす発言である。

今こそ現実的な視点から対ロ戦略の再構築を

 筆者は2016年9月、日経ビジネス・オンラインに「北方領土をめぐる交渉がプーチン大統領の下で大きく前進するという過大な期待を持つべきではない」というメッセージを埋め込んだ記事を発表した。

 この記事で指摘したように、欧州では新たな東西冷戦が始まったというムードが強まっている。たとえばロシアの国営インターネット・ウェブサイト「スプートニク・ニュース」のドイツ語版を読むと、西側に対する悪意を込めたプロパガンダに満ちており、1980年代の東西冷戦を彷彿(ほうふつ)とさせる内容だ。「新しいNATOの本部の建物を空から見ると、ナチス親衛隊の頭文字であるSSの形をしている。これはロシアに対する挑発だ」というあきれる内容の記事もある。

 スプートニク・ニュースを読むと、同国政府が北方領土についてどのようなプロパガンダを行っているかを垣間見ることができる。同ウェブサイトは、日ロ首脳会談が行われる1週間前の6月22日に、「プーチン大統領は、我が国のジャーナリストとの質疑応答の中で、『ロシアがクリール諸島に立てたロシア国旗を降ろす計画はない』と断言した」と報じた。この記事についてある読者は「ロシアは一体なぜ、クリール諸島について日本と交渉しなくてはならないのか? ロシアはむしろ、日本の外交政策をコントロールし、日本に多数の基地を持つ米国と交渉すべきではないか? それに日本は、ロシアに経済制裁を加えている米国に寄り添っている国だ」というコメントを寄せている。

 ドイツ在住の、プーチン大統領に批判的なロシア人A氏は「プーチン大統領の支持率が高い理由は、彼が国粋的な政策を取っているからだ。そうした人物が、北方領土の一部を日本に引き渡すことはあり得ない。この世界に、自分に対する支持率をあえて下げてまで、自国の領土と見なしている地域を、仮想敵国に引き渡す指導者がいるだろうか?」と語った。

 A氏は日常、インターネットを通じてロシアの世論をきめ細かくフォローしている。彼は、母国に住むロシア人の友人たち、しかも大学で勉強した中産階級に属する人々が、プーチン大統領の政策を強く支持し、プーチン寄りメディアが報道する内容を信じ込んでいることについて、筆者に驚きの感情を見せたことがある(A氏は、政府に対して中立で不偏不党の新聞社・放送局はロシアにはないと考えている。比較的独立性が高いのは、ネットマガジンだという)。つまり多くのロシア人は、現政権が取る攻撃的な対外政策に好意的な姿勢を取っている。A氏はプーチン大統領が昨年、平和条約について前向きであるかのような姿勢を一時的に見せたのは、日本から経済援助を引き出すためのジェスチャーにすぎず、北方領土を1平方ミリメートルたりとも日本に引き渡す気はないと考えている。

 ロシアでは、プーチン大統領への支持率が下がりつつある。ロシアの世論調査機関レワダ研究所が昨年11月に発表した調査結果によると、プーチン大統領の支持率は1年前に比べて10ポイント下がり、56%となった。同氏の支持率が60%を割ったのは、過去5年間で初めてのこと。クリミア併合直後に彼への支持率が約80%に達したことを考えると、隔世の感がある。

 A氏によると、支持率が低下した最大の理由は、プーチン大統領が昨年導入した年金改革だ。政府は男性の年金受給開始年齢を、2028年までに60歳から65歳に、女性は2034年までに55歳から63歳に引き上げることを決めた。このためにプーチン大統領に対する市民の不満が強まっているというのだ。A氏は、「このような苦しい時期に、プーチン大統領が自国の領土の一部を外国に引き渡すことで、さらに支持率を下げることはあり得ない」と語った。

「外交の世界に友情はない」

 欧州には「外交の世界に友情はない。あるのは国益だけだ」という警句がある。日本の政治家は、外国の首脳と個人的に親密な関係を築けば、相手も胸襟を開くので、外交関係を改善し自国の目標を達成できるのではないかと考える傾向がある。だが国際交渉の世界で、そうした個人的な感情が持つ比重は極めて小さい。交渉相手は日本人のメンタリティーは持っていない。日本の首相が外国の首脳を自分の故郷の旅館へ招待したり、六本木の居酒屋やゴルフに招いたりしても、彼らは交渉の場で自国の国益を損なったり、自分への国内支持を減らしたりするような譲歩はしない。日本側が多大な労力を注いでも、大きな成果は期待できない。

 6月末までの大筋合意という目標達成が失敗に終わった今こそ、日本政府は、ロシアに対する欧州の対応を視野に入れてグローバルな情勢を分析し、より現実的かつ冷静な立場から、対ロ政策、北方領土に関する戦略を練り直すべきではないだろうか。