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欧州から見た「ロシアとの雪解けの終わり」

 こうして2016年から続いてきた「北方領土フィーバー」は事実上息の根を止められた。北方領土返還が再び遠のいたのは、極めて残念なことである。だが筆者の目から見ると、交渉が暗礁に乗り上げたのは、予想通りの事態と言わざるを得ない。ソ連崩壊後、特に21世紀に入ってから、欧州・米国とロシアとの情勢が年々険悪化するのを見ていたため、日本で楽観的な空気が広がるのを理解することが全くできなかった。

 筆者はNHKを退職した後、1990年以来ドイツに住み、ロシアやウクライナ、ベラルーシ、バルト3国、東欧諸国に足を踏み入れて、欧州側からロシアという国を観察してきた。第2次世界大戦後の西ドイツとソ連(ロシア)の葛藤・関係は、日ソ・日ロ間の関係よりもはるかに深く複雑だった。ドイツとロシアの経済関係は、ウクライナ危機で制裁が実施されるまで緊密だった。天然資源が少ないドイツはロシアから天然ガスなどのエネルギー源を輸入し、ロシアが必要とする機械や自動車など付加価値の高い製品を輸出した。ドイツは、ロシアを定点観測するには日本よりも適した場所なのである。

 ソ連とドイツは、第2次世界大戦でお互いの存続をかけて、激しい戦闘を繰り広げた。ドイツは国土をコンクリートの壁と鉄条網で分割され、東側をソ連の勢力圏に編入された。西ドイツは、米ソが諜報戦を展開する戦場でもあった。社会主義時代の東ドイツには、約30万人の兵力を持つソ連軍部隊が駐留していた。1980年代に米ソが東西ドイツに中距離核ミサイルを配備した時には、この国を舞台にした限定的核戦争の危険が著しく高まった。

 1989年にベルリンの壁が崩壊。その翌年に、東西ドイツ統一が実現したのは、西ドイツのコール首相(当時)が、「ソ連の最高指導者がゴルバチョフという改革派の政治家である瞬間を逃したら、もはや統一はできない」という的確な判断を行ったからである。つまり第2次世界大戦の戦勝国の1つであるソ連の同意を取り付けることができたからこそ、ドイツは統一によって主権を完全に回復することに成功した。それほど、ドイツという国はソ連(ロシア)との関わりが深い国なのである。ある意味で、ドイツの外交政策、安全保障政策の中で、ロシアは極めて重要な地位を占めている。

 コール元首相が見通したように、東西間の雪解けの時代は短く、「チャンスの窓(Window of opportunity)」は再び固く閉ざされた。ゴルバチョフ失脚、ソ連崩壊、そして2000年にプーチン大統領がロシアで最高権力を握ってからは、ドイツそして西側陣営に対する態度をロシアは硬化させていった。

21世紀に入って攻撃的になったロシア

 ロシアの対外政策は21世紀に入ってから、過去に比べて攻撃的な性格を強めている。まず同国は08年8月に隣国ジョージアに一時侵攻した。ジョージアからの分離独立を求める南オセチア、アブハジア地区の親ロシア派の住民たちを支援するためである。

 また14年2月にはウクライナの親ロシア派ヤヌコビッチ大統領が失脚。彼はウクライナがEU(欧州連合)・北大西洋条約機構(NATO)に接近するのに消極的だった。プーチン大統領は、14年3月にウクライナ領だったクリミア半島に戦闘部隊を送って占領し、ロシアに併合。さらに同年4月からはウクライナ東部で分離独立勢力を支援して内戦に介入している。

 14年に欧米諸国は、クリミア併合などに抗議してロシアやウクライナの親ロシア派の要人に対する経済制裁措置を発動した。その対象には、プーチン大統領の側近も含まれている。

 今年4月にロシア政府は、ウクライナ東部の住民がロシアのパスポート取得を希望する場合に、手続きをこれまで以上に簡素化する方針を打ち出した。ウクライナ東部でロシア国籍を持つ住民の比率を増やし、ロシア軍のこの地域への軍事介入を正当化するためだ。

 ロシアは08年にジョージア領に一時侵攻する直前にも、同じようにジョージア領内の分離独立派住民のために、ロシアのパスポート取得を簡素化した。このため米国やEUは、ウクライナ東部住民へのパスポート交付に関するロシアの決定を、挑発的な行為として批判している。