軍事境界線を、北から南へ踏み出すトランプ大統領(左)と金正恩委員長( 写真:AP/アフロ)
トランプ米大統領と金正恩委員長が事実上の第3回首脳会談を行った。ツイッターのメッセージを端緒として、わずか1日で、実務者協議の再開にこぎ着けた。朝鮮半島問題に詳しい武貞秀士氏は「今後、非核化協議は断簡的に進む。日本の存在感は薄くなった」と評価する。
(聞き手 森 永輔)
ドナルド・トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩委員長が、南北軍事境界線にある板門店で会談し、非核化をめぐる実務者協議を再開することで合意しました。これをどう評価しますか。
武貞:事実上の、第3回首脳会談となりました。トランプ大統領は、2月の首脳会談が合意なしに終わったあと第3回首脳会談を開きたいとずっと考えていました。ただし、先に秋波を送ったのは、金委員長の方でした。6月上旬にトランプ大統領に親書を送り、トランプご大統領が返事の親書を送ったのです。
武貞 秀士(たけさだ・ひでし)氏拓殖大学大学院客員教授専門は朝鮮半島の軍事・国際関係論。慶應義塾大学大学院博士課程単位取得退学。韓国延世大学韓国語学堂卒業。防衛省防衛研究所に教官として36年間勤務。2011年、統括研究官を最後に防衛省退職。韓国延世大学国際学部教授を経て現職。著書に『韓国はどれほど日本が嫌いか』(PHP研究所)、『防衛庁教官の北朝鮮深層分析』(KKベストセラーズ)、『恐るべき戦略家・金正日』(PHP研究所)など。
トランプ氏の軍事境界線越えで終戦宣言が浮上
そして、歴史的なことが2つ同時に起きました。第1は、トランプ大統領が、南北を分かつ軍事境界線を越え、北朝鮮の「支配地域」に足を踏み入れたこと。トランプ大統領が「軍事境界線を越えましょうか」と聞き、金委員長が「どうぞ」と答えたのです。
トランプ大統領の演出でした。トランプ大統領は、文在寅大統領が昨年4月、南北首脳会談の際に、境界線をまたぐことを金委員長から促されたことを知っていたので、金委員長を喜ばせようとしたのでしょう。
これは、米国の大統領として初めてのことです。ビル・クリントン大統領が2000年に訪朝すべく努力していましたが、かないませんでした。
もう1つの「歴史的」事件は、国政を担う首脳がツイッターを通じてメッセージを交換し、わずか1日の間に調整して、会うことができたことです。
それぞれの意義を順に説明しましょう。トランプ大統領が北朝鮮に足を踏み入れたことで、朝鮮戦争の「休戦協定」が形骸化するきっかけになります。「終戦宣言」を出すハードルが低くなりました。終戦宣言を出すとは、米国と北朝鮮が戦争する関係が終了するということです。米朝関係の正常化に向けて一歩前進するわけですね。
終戦宣言が出ると、これまでと何が変わるのでしょう。
武貞:北朝鮮軍の南侵を阻止するための軍隊が在韓米軍です。戦争をする関係ではなくなったとなれば、在韓米軍撤退論議が米朝間と米国内で出てくるでしょう。在韓米軍は、米韓相互防衛条約に基づいて韓国に駐留していますが、その条約の目的も変化するでしょう。その先には中国と韓国を含めた4カ国による休戦協定終結の協議が出てきます。
戦争が終結したとなれば、北朝鮮は在韓米軍撤退に続いて米朝平和協定締結を提案するでしょう。
トランプ大統領は在韓米軍の駐留経費が高いとして、かねてから不満を漏らしています。米朝の戦いは終わったという文書ができたあと、トランプ大統領は在韓米軍撤退と国交樹立を検討し始める可能性があります。
ツイッターを引き金にわずか1日で首脳会談
2つ目のツイッターについて。金委員長は、トランプ大統領が6月29日に大阪から送ったツイッターを見て「驚いた」と話していました。この発言にうそや計算はないでしょう。金委員長の側近である、崔善姫(チェ・ソンヒ)外務次官が「非常に興味深い提案だが正式な招待は受けていない」という趣旨の談話を出していました。この点からも、金委員長が驚いたのが本当だったことがうかがわれます。
そして、わずか1日の準備期間で両首脳が会い、いとも簡単に実務者協議の再開を決めてしまったのです。もちろん、金委員長はこれまでもトランプ大統領と会うことを希望していました。その意向を、先に訪朝した中国の習近国家主席に伝え、大阪でトランプ大統領に伝えてもらってもいたでしょう。それでも、わずか1日でこれほど大きく事態が進展するのはかつてないことです。
米国務省の担当者たちは困ったでしょうね。事前の協議が何もないところに、ツイッターでお誘いが飛んだわけですから。
トランプ大統領はどのような成果を狙ったのでしょう。
武貞:パフォーマンス好きの同大統領が、「良いアイデア」を思いついた、というのが理由の1つかもしれません。
第2は、失点の回復です。2月にシンガポールで行われた第2回米朝首脳会談は合意に至ることができませんでした。2020年に予定される次期大統領選に向けて、このマイナス分を取り戻しておきたかったのでしょう。
トランプ大統領はG20大阪サミット(主要20カ国・地域首脳会議)後の記者会見の場で「2年前にはひどい状態だった。しかし、自分が大統領に就任して関係が改善。北朝鮮は今や核実験もしていないし、ミサイルも発射していない(編集部注:同大統領は大陸間弾道弾のみを「ミサイル」とみなしている模様)」と発言し、オバマ政権との違いを強調しました。ここからも、選挙が念頭にあることがうかがわれます。
最強硬派のボルトン補佐官はずしへ
実務者協議はどのように進みますか。
武貞:交渉チームを再編成しますね。最強硬派であるジョン・ボルトン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)が、板門店での会見の場にいなかったのが印象的でした。北朝鮮の意向を汲んで、同補佐官を新チームからはずすかもしれません。
北朝鮮側は、当然、崔善姫外務次官が中心となります。金委員長の実妹である金与正氏(キム・ヨジョン)も、これまで米朝交渉の中心となっていた金革哲(キム・ヒョクチョル)氏も板門店に姿を現しませんでした。彼らはどちらも新チームに入らないかもしれませんね。李容浩(リ・ヨンホ)外相は、板門店からの映像に顔が映っていました。
米朝双方は2月のハノイ会談の苦い記憶がありますから、協議は合意しやすいものから「段階的に」進めることになるでしょう。寧辺にある核施設の放棄を北朝鮮が受け入れるのに応じて、米国側も制裁を緩和していく。この段階で終戦宣言と連絡事務所の相互設置は可能です。非核化の期限を設けることなく進めるものとみられます。
トランプ大統領は面会後の記者会見で「スピードよりも、正しい道を歩むことが大事」と発言していました。
武貞:そうですね。
記者会見で、トランプ大統領が金委員長をワシントンに招く件が質問されました。
武貞:こちらもハードルが低くなったでしょうね。金委員長がホワイトハウスを訪問しても全くおかしくありません。今回、トランプ大統領が先に北朝鮮に足を踏み入れたわけですから。金正恩委員長が太平洋を横断するときの手段は何になるのでしょうか。
日本はひきこもり外交”をしてしまった
韓国が果たした役割をどう評価しますか。
武貞:板門店の会場の準備をし、米朝の首脳が会う便宜を図ったのは韓国です。しかも、今回、史上初めて米朝韓の首脳会談が実現したのです。韓国内は「米朝の仲介をした」と沸いてるでしょう。文在寅(ムン・ジェイン)大統領の支持率がこれで上がるでしょう。
それと、このようなサプライズの形で金委員長と会う計画を日本には事前通告しないで実行すれば、「日本政府はどう思うだろうか」とトランプ大統領が考えなかったことになります。これでは「日本は軽んじられた」と言われても仕方ありません。
日本はG20大阪サミットの場で、大国としての外交を展開すべきだったと思います。
どういうことですか。
武貞:文大統領と首脳会談を行うべきだったのです。日本は今回のサミットで議長国でした。主催者として会うだけでもすべきでした。そうでなくても、日本と韓国は、北朝鮮の核・ミサイル問題と拉致問題で協力しあう関係なのですから。
元徴用工をめぐる問題が進展していないことを理由に会わないのは正論ではあります。しかし、そのかたくなさは、かつて韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領が安倍首相との首脳会談を拒んでいたのと同じようにみえました。
もし文大統領と首脳会談をしていれば、トランプ大統領と金委員長の会談について耳打ちすることがあったかもしれません。G20大阪サミットの会場で、トランプ大統領が文大統領に対し、親指を立てて合図を送ったことが報じられました。あれは「金委員長と会う。準備をよろしく」というサインだったのかもしれません。
日本はけっきょく引きこもり外交をしてしまったのです。北方領土の返還が難しくなった今、アジア情勢をめぐる外交の中心は北朝鮮の核と拉致の問題になります。これに参加する機会を、日本はつかまなければなりません。北朝鮮問題の当事者なのですから。
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