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1980年代の新自由主義による改革が残した禍根

米国はなぜ、そして、いつから今のような状態になったのでしょう。

瀬口:その萌芽(ほうが)は1980年代のレーガン政権時代にさかのぼります。停滞する経済を復活させるには新自由主義が「正しいもの」とみなされ、①国営企業の民営化、②金融ビッグバンなどの規制緩和による競争奨励策、さらに③減税によって、民間経済の活性化が図られました。グローバル化が始まったのもこの時期です。低価格品の輸入拡大は労働者から職を奪い、移民の増加と相まって所得格差の拡大を促しました。同時に④労働者を擁護する制度の後退、⑤社会保障制度の縮小が進み、弱者を救済する手段は十分なものが用意されませんでした。

 成長する力のある者が競争を勝ち抜き成長すればよい。そうすれば、トリクルダウン仮説が言うように、「社会全体の経済活動が活発化し、貧困者にも富が再分配される」と考えられた。しかし、結果を見れば、トリクルダウン効果は生じず、拝金主義がまん延したのです。

 こうした環境の中で、「自分さえ成長できればよい」「自分の自由は束縛させない」という考えが力を増しました。そこから生じる矛盾を自らの努力で改善しようとせず、政府が決めるルールで規制することに任せるだけでよいとする土壌が出来上がったのだと思います。

 新自由主義に基づく経済改革が進む一方で、社会主義圏の崩壊と米国による冷戦勝利がありました。「自由」が勝利したのですから、その行き過ぎをとどめる力は働きませんでした。レーガノミクスは経済活性化のための一時的なショック療法としては有効だったと思います。しかし、役目を終え、方向転換すべき時期が訪れても必要な修正が行われないまま進んでしまったため、多くの社会問題を生んだと言えるでしょう。

米国は、国内においてのみならず、国際社会においても「自国の自由は束縛させない」とする行動を取るようになりました。

瀬口:気候変動問題に国際社会が一つになって取り組もうというパリ協定からの離脱が典型例です。トランプ政権による移民を排除する政策や、新型コロナ危機の中でのWHO(世界保健機関)への資金拠出停止など、その例は枚挙にいとまがありません。

日本は初めて「師」のいない道を歩く

オバマ政権が「脱・世界の警察」を宣言したのも、こうした流れの一環かもしれないですね。

瀬口:おっしゃる通りです。米国がこのように変化した今、日本は尊敬できる「師」を失ったのだと思います。