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逃亡犯条例改正は共産党政府が繰り出した第4の矢

 これらの理由により、北京は香港に対し比較的柔軟な姿勢を持続させた。しかし香港における政治運動は中国本土に悪影響を与える。香港の経済を自由に発展させ、それを利用しながら、同時に政治の管理を強めたいというのが北京の本音だった。

 転換点となったのが2003年の50万人デモである。基本法は反逆、国家分裂、反乱扇動など国家安全を脅かす行為を禁止する法律を香港が自ら立法するよう規定している(23条)。02年、香港政府はその立法化に着手した。しかし、デモによりこれは失敗に終わった。

 中国は、この動きを愛国心不足のためだと認識し、12年に「徳育・国民教育科」の導入を目指した。だが北京の意向を受けた香港政府の動きは、中高生の強い反対を呼び起こし撤回に追い込まれた。

 中国は続いて14年、17年に行われる予定の香港行政長官選挙において、民主派が立候補するのを事実上不可能とする決定を下した。これに反対する香港の人たちは「雨傘運動」を繰り広げた。この運動は79日間継続したが、中国は譲歩せず、反対運動は挫折した。

 そして今回の逃亡犯条例改正に反対するデモである。中国が12年以来、香港への管理を強化する流れの中で、香港が返還されて以降、最大のデモとなった。中国の経済発展と国力の増大は香港の有用性を相対的に低下させ、それが香港の中国化を促進する。それに対する反発と将来への不安が、これほど多くの香港の人たちをデモに駆り立てたのであろう。

 しかし、理由はそれだけではない。香港の出来事は中国の国内情勢と不可分に結び付いている。

香港の経済的重要性は20年で7分の1に低下

 12年11月、習近平氏が中国共産党総書記に就任した。その頃、中国の国力は増大し、世界における中国の存在感も急速に拡大していた。中国国内のナショナリズムの高まりも顕著だった。同年9月に始まった尖閣問題をめぐる日中の衝突は、中国の対外姿勢を「実力による現状変更」という新たな段階に引き上げ、自己主張の強い強硬姿勢に転換させた。

 この基本姿勢の転換は、香港においては、中国の権威を誇示し管理を強化する方向に作用した。中国経済にとって香港の有用性が大きく低下した事実が、それを助長した。香港経済は、1997年には中国全体の2割弱の規模を誇っていた。それが20年後の2017年にはわずか3%弱となった。深圳は経済規模で香港に追い付き、ハイテク分野でははるかに引き離した。金融市場としても上海の重要性の方がさらに高まった。中国は香港に対して、以前ほど遠慮する必要がなくなったわけだ。

 香港を優遇するもう1つの理由であった台湾問題も、この20年間で大きく変質した。中国国民党の統治は終わり、その優勢も消えた。国共合作による統一は夢と消え、台湾独立派が力を強めた。一国二制度に基づき台湾問題を解決するという基本方針に変わりはないが、台湾と香港は分けて考えざるを得なくなった。台湾問題を念頭に、香港の政治に甘い姿勢を見せる必要もないと考える人たちが増えた。

 国際社会との関係でも中国は自信を付けた。中国が天安門事件後の国際的孤立から脱却し、経済を驚異的な勢いで成長させたのを背景として、欧米は中国の民主化や人権にあまり口出ししなくなった。むしろ遠慮するようになったほどだ。逆に、中国の影響力と国際的発言力は増大した。昔ほど欧米を気にする必要はなくなった。