シリアのアサド大統領は得票率は95.1%で4戦を果たした(写真:AFP/アフロ)
シリアのアサド大統領は得票率は95.1%で4戦を果たした(写真:AFP/アフロ)

 2021年5月26日、シリアで大統領選挙が行われ、現職の大統領バッシャール・アサドが他の2人の候補に大差をつけて圧勝、4選を果たした。アサドの得票率は95.1%、投票率は78%であった。

 1980年代から世紀の変わり目のころまで、中東の独裁者たちは、何があっても自分の地位は安泰だと考えていたかもしれない。しかし、米軍により2003年に、イラクの大統領サッダーム・フセイン(以下、サダム・フセイン)が駆逐された。ちょうど10年前のいわゆる「アラブの春」では、チュニジアの大統領ザイヌルアービディーン・ベン・アリー(以下、ベンアリ)、エジプトの大統領ホスニー・ムバーラク(以下、ムバラク)、リビアの最高指導者カッザーフィー(以下、カダフィ)がその地位を追われている。そして、その翌年にはイエメンの大統領サーリフがその地位を失った。

 最高権力者の地位にあったのは、フセインとベンアリが24年、ムバラクは30年、カダフィは42年、そしてサーリフは34年であった。

 中東の長期政権といえば、これにシリアのハーフェズ・アサド大統領を加えてもいい。4選を果たしたバッシャール・アサドの父親である。彼も1970年から2000年まで約30年間、大統領の地位に君臨していた。幸か不幸かハーフェズ・アサドは大統領の座から引きずり降ろされることなく、病気で死亡し、大統領の座を息子に譲ることができた。

イラクのフセインは前人未踏のフルマーク100%達成

 個人的には、とりわけこのハーフェズ・アサド、サダム・フセイン、ムバラク、ベンアリの4人の大統領選挙について常に注目していた。もちろん、選挙で誰が勝つかという関心ではない。選挙結果は初めから分かっている。では、何に関心があるかといえば、得票率である。

 例えば、ハーフェズ・アサドは、1971年に自身が最初に出馬した大統領選挙の得票率は99.2%だった。彼はすでに前年に政府の実権を握っており、この大統領選では立候補者は彼一人、つまり信任投票であった。それ以降、1978年、85年、91年、99年の選挙でも得票率は99%を超えている。

 エジプトのムバラクも、1981年の最初の大統領選挙(信任投票)で98.5%を獲得。以下1987年97.1%、1993年96.3%と続いた。2005年に初めて複数候補が立候補できる制度に変更になり、このときは88.5%とさすがに得票率を落としている。

 チュニジアのベンアリは1989年に事実上のクーデターで大統領に就任。この年に実施した最初の大統領選挙での得票率は99.2%だった。1994年の2度目の選挙ではさらに上がって99.9%。1999年の選挙では制度が改変され、複数の候補が立候補できるようになったので、98.0%と微減。その後も2004年には94.4%、2009年89.6%と得票率は下がっていった。

 イラクのサダム・フセインは選挙で選ばれたわけではない。前任のバクル大統領が1979年に辞任したのを受け、大統領に就任した。その後も通常の大統領選挙が行われることなく、1995年と2002年に大統領信任投票が実施された。1995年の投票では投票率99.4%で、そのうち99.9%が賛成であった。

 しかし、何よりもすごかったのが2002年の信任投票である。このときフセインは前人未踏の賛成100%を達成したのである。しかも、ただの100%ではない。単に反対が1人もいなかっただけでなく、無効票もなし、投票率も100%、正真正銘フルマークの100%だったのである。有権者登録した1144万5638人が投票日当日、交通事故にも遭わず、病気にもならず、突然の用事が生じることもなく、投票に行き、その全員がサダムに「ナァム」(アラビア語で「イエス」の意味)としたのだ。

続きを読む 2/3 “インチキ選挙”であっても得票率が示す実情

この記事は会員登録で続きをご覧いただけます

残り1626文字 / 全文4442文字

日経ビジネス電子版有料会員になると…

人気コラムなどすべてのコンテンツが読み放題

オリジナル動画が見放題、ウェビナー参加し放題

日経ビジネス最新号、10年分のバックナンバーが読み放題

この記事はシリーズ「世界展望~プロの目」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。