再選を決めた大統領ジョコ(写真:AFP/アフロ)
再選を決めた大統領ジョコ(写真:AFP/アフロ)

 インドネシアの選挙管理委員会が5月21日、総選挙の集計結果を発表した。現職の大統領ジョコが55.5%の得票を獲得し、野党候補のプラボウォ候補を破って再選された。公式集計結果が発表された後、首都ジャカルタでは選挙結果に抗議するデモの一部が暴徒化し、8人の犠牲者が出て、数百名の参加者が負傷する事態となった。さらに、当局がこの暴動に関連して過激派組織「イスラム国(IS)」系組織の構成員2人を拘束するなど緊迫した情勢が伝えられている。

 大統領選挙に関して、現職の大統領ジョコがイスラーム教指導者の団体「インドネシア・ウラマー評議会」議長をのマアルフ・アミンを副大統領候補とするなど、宗教色を強調する戦略に注目が集まった。しかしながら、大統領選挙をめぐる政治過程をみると、インドネシア社会の多様性が浮かび上がる。選挙の過程で顕在化した合従連衡から、インドネシア政治のプレーヤー自身が重要な票田をどう認識しているのかを考えてみたい。なお、本コラムでの分析の多くは、アジア経済研究所の川村晃一氏が編集した著作(新興民主主義大国インドネシア―ユドヨノ政権の10年とジョコウィ大統領の誕生)によっている。

対照的な大統領候補、庶民層出身 vs エリート軍人

 庶民層出身で地方政治家であったジョコと、エリート軍人で、スハルト大統領の側近だったプラボウォの衝突は、2人の個性に注目すれば対立軸は明確に思える。両者が最初に激突した2014年の大統領選挙において、庶民派のジョコとエリートのプラボウォという2人の対照的な個性に注目が集まった。

 ジョコは、ジャワ島の古都ソロ市に生まれ、家業の家具商を継いだ後、ソロ市長に選出された。市民との対話を重視する姿勢が評価され、12年のジャカルタ特別州知事選に出馬、当選した。その後、露天商による交通渋滞問題や洪水対策用の貯水池に住み着いてしまった人々への対応など、大都市の問題解決に指導力を発揮して全国区の知名度を獲得した。14年の大統領選挙に立候補し、対抗馬のプラボウォを下した。

 他方、プラボウォは、スハルト大統領に仕えた著名な経済学者を父に持つ。自身は国軍に出仕、スハルト大統領の娘と結婚し、スハルト体制で出世街道をひた走った。

 しかしながら、民主化が起きたことで、大統領側近であることが弱みとなった。民主化後、プラボウォは独断で民主化運動指導者を誘拐したり、秘密工作部隊を作ったりしたなどとして軍籍をはく奪された。その後はヨルダンに渡って企業活動にいそしんだ。04年ごろから政界に復帰し、08年には実業家の弟から財政支援などを受けてグリンドラ党を旗揚げし、「強いインドネシア」を取り戻すというイメージ戦略の下で本格的に政界に参入した。04年から大統領を務めたユドヨノが、政権末期に求心力を失う中、強い指導者像を打ち出すプラボウォが脚光を浴びるようになり、14年の大統領選挙出馬に至った。

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