ミシェル・フーコー。『言葉と物』『狂気の歴史』『知の考古学』などの著書で知られる(写真:Roland Allard/Agence Vu/アフロ)
ミシェル・フーコー。『言葉と物』『狂気の歴史』『知の考古学』などの著書で知られる(写真:Roland Allard/Agence Vu/アフロ)

 昭和に学生時代を過ごした人間にとって、1984年に亡くなったフランスの哲学者ミシェル・フーコーの影響は絶大なものであった。たとえ畑違いであったとしても、たとえ理解できなくとも、読んだフリ、知っているフリをしなければならないほど巨大な存在であったといえる。かくいう私の書棚にも何冊か飾ってあるところをみると、きっと学生時代には、フーコーがどうのこうのと知ったかぶりをしていたにちがいない(白状すると、まともに読んだことすらないのだが)。

 英国の「サンデー・タイムズ紙」が3月28日、フーコーに関する3つの記事を公開した。彼の主著である『性の歴史――肉の告白』の英訳が第4巻で完結したことを受けたものであろう(日本でも2020年末に邦訳が出版されている)。同書は、完成直前にフーコーが死去し、その遺言により長く刊行されずにいた。しかし「#MeToo」運動の高まりなどを受け、遺著管理者らの判断で、2018年にフランス語版が刊行されていた。

 3つの記事のうち2つは彼の著書や思想、そして彼が同性愛者であったことを論じている。これらは書評的なものであったり、既知のものであったり、彼の思想の要約であったりで、それほど興味を引くものではなかった。しかし、残りの1つは、私には強烈なインパクトがあった。

 その記事は、フーコーの知己でもあったフランスの思想家、ギ・ソルマンのインタビューを掲載していた。そのなかでソルマンは、フーコーが小児性愛者の強姦魔(paedophile rapist)だと主張したのである。しかも、それは北アフリカのチュニジアでの事件に基づく発言であった。フーコーの著作は今となっては甘酸っぱい思い出でしかないのだが、この部分についてはアラブ研究者として当然引っかかる。

深夜の墓場で小児と……

 1966年、フーコーはチュニジアのチュニス大学で教え始めた。これは、彼のパートナーであった社会学者ダニエル・デフェールのチュニジア赴任が影響したといわれている。当時、フーコーは首都チュニス近郊のシーディー・ブー・サイードという村に住んでおり、ソルマンが今回暴露したのは同氏が友人たちとその村を訪ねたときの話である。

 そこには、8歳から10歳ぐらいの何人かの子どもたちがいて、フーコーと鬼ごっこをしていた。フーコーは彼らにお金を投げ与え、「夜10時にいつものところで会おう」といった。いつものところとは地元の墓地で、フーコーはそこで子どもたちと性行為をしていたのだ。合意があったかどうかは不明だという。

 ソルマンは、警察に通報するか、メディアに告発すべきだったと後悔していると述べている。だが、当時すでに、フーコーはフランスの思想界の「王」であり、「神」のごとき存在だったことを考えると、果たしてメディアがソルマンの告発を真摯に取り上げてくれたかどうかは微妙であったろう。実際、ソルマンのチュニジア訪問にはジャーナリストも参加しており、小児との性行為というフーコーの醜悪な行為を目撃していたのに、誰一人それについて書くことはなかったという。

 フランスでは、性行為に同意する能力があるのは15歳以上だとされているそうだ。それ未満の場合、たとえ、合意があったとしても法定強姦とされる。フーコーは1977年に性的合意年齢法に反対する建白書に署名している。つまり、15歳未満であっても合意があれば性行為は許されるべきだと主張したのだ。

 ただし、この建白書にはフーコーだけでなく、ジャンポール・サルトルやジャック・デリダらそうそうたるメンバーが署名者として加わっている。これは、合意による性行為を「強姦」だとして処罰することへの批判だという。ただし、仮にそうだったとしても、フーコーの場合、チュニジアでの件が事実であるならば、それ以外の意図があったのではと勘ぐってしまう。

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