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農村部の医療費負担を軽減

 タクシン派の起源を考えるためには、タクシン政権の政策を考える必要がある。デュアル・トラックとして知られる同政権の経済政策については、その生みの親とされるソムキット氏の来歴とともに、しばしば論じられてきた。

 もう1つ、タクシン政権が後のタイ政治を左右する一大潮流を生み出した政策として知られているのが「30バーツ医療制度」と呼ばれる社会政策改革である。様々な経緯を経て、タイ貢献党の党首となったスダラット氏は、まさにこの制度を導入した際の保健大臣であった。ただし、同制度の導入についての詳細な研究によれば、同制度に主体的にかかわったのはスダラット氏本人というよりも、彼女の下で副大臣となったスラポン医師であった。

 幸いなことに、同制度の成立過程については、河森正人氏の労作『タイの医療福祉制度改革』を参考にしてその起源をたどることができる。同書をもとに、同制度の特徴とその起源について考えてみたい。

 まず、30バーツ医療制度の特徴は、初診費用を下げ、疾病が進む前に診療を開始することで、医療費全体を下げる点にある。また、医療費負担について、受けた医療サービスの多寡ではなく、医療機関がカバーする人口に対応するようにした点も変更点である。そうすることで、医療機関が多い一方、人口の少ない都市部の負担を上げつつ、医療機関が少ない一方人口の多い農村部の負担を軽減する効果がある。このことは、人口は多いものの経済的機会に恵まれない北部や東北部の住民にとって魅力的であったとされる。

「世論」ではなく「政策の専門家」に乗る

 こうした医療制度が実現できた背景について、河森氏の研究を踏まえると、3つの勢力の存在が浮かび上がる。第1に、タイの民主化運動の一大高揚期であった1970年代に学生運動を率いたマヒドン大学出身の医師たちの存在である。実際、30バーツ医療制度の導入の旗を振ったのは、マヒドン大学出身の医師官僚で、タクシン政権の保健副大臣となったスラポン氏であった。

 第2に、保健省内の農村医師官僚たちが重要であったという。保健省は、医療技術の発展を重視する保守派と、農村における医療の普及を重視する農村医師グループの間に緊張関係があるとされる。タクシン率いるタイ愛国党は、保健省内の両派の緊張関係を破ることで、30バーツ医療制度を実現する3つ目の勢力となった。

 タイ愛国党は、政権を取る前から政策分野ごとにチームを作って政権構想を練っており、保健医療のチームにスラポン医師を招いていた。政権発足後、そのスラポン医師を保健副大臣に任命し、30バーツ医療制度が実現することとなった。

 3つの勢力の存在が示すように、タクシン政権は、社会改革を目指す専門家の知恵を活用した。タクシン派の起源は、風のような世論ではなく、専門知に依拠した実務家との連携にあったと考えられる。

次期政権で専門家との連携は進むか

 30バーツ医療制度成立の経緯から、保健分野での改革は、民主化を目指す医師、改革派官僚と政治家の連携によって実現したことが分かる。タクシン派が、タイ政治の一大潮流となった背景には、タイ社会の改革を目指す専門家の存在があった。

 これから発足する新政権が、タイ政治史の新時代を切り開くことができるか否か。その成否は、社会経済改革を実現する意思と能力を持った専門家との連携の有無に左右されることになるだろう。