駐マレーシア北朝鮮大使館は21日、閉鎖となった(写真:ロイター/アフロ)

 北朝鮮外務省は2021年3月19日、マレーシアと断交する声明を発表した。理由は、マネーロンダリング行為をしたとしてマレーシアが逮捕した北朝鮮籍のムン・チョルミョン被告(56歳)を米国に引き渡したことである。彼は2019年5月14日に、米国の要請を受けたマレーシア警察によって首都クアラルンプール近郊の自宅(アパートメント)で逮捕された。それから約2年間、裁判で争っていたのである。北朝鮮は、裁判で無罪を主張するムン・チョルミョン被告を米国に引き渡した理由は政治的なねつ造であるとし、マレーシアが北朝鮮に敵対行為をしたとの理由で断交した。

 知られている限り、北朝鮮外務省が声明を出して断交した先例はない。1989年にハンガリーが韓国と国交を結んだ際に北朝鮮は駐ハンガリー北朝鮮大使を代理大使級に降格したが、断交までしたわけではなかった。北朝鮮と外国が断交した例はいくつかあるが、ミャンマー(当時ビルマ)やイラクのようにたいていは相手側から断交されている。また、どちら側も何も声明を出さずにいつの間にか断交していた例もある。ケニアのように、いつの間にか断交して、復交していたこともある。今回の北朝鮮外務省の声明は異例であり、マレーシアを驚かせたことは間違いないであろう。

 実際に、マレーシア政府はその日に声明を出して遺憾の意を表しながら、北朝鮮の決定は非友好的であり、非建設的であり、相互尊重の精神と国際社会メンバー間の友好関係を無視していると非難した。またマレーシア政府は、北朝鮮と国交を締結するとすぐに北朝鮮を緊密なパートナーと考え、困難なときでも支持し続け、金正男(キム・ジョンナム)暗殺事件後も北朝鮮との関係強化のためにずっと努力してきたとも語った。マレーシアはまさか断交になるとは想定していなかったのである。

北朝鮮の敵だったマレーシア

 北朝鮮がマレーシアと国交を締結したのは1973年6月30日である。北朝鮮は翌年にはクアラルンプールに大使館を設置した。ただ当時は、とりわけ重要な関係だったとは言い難い。それどころか、1963年9月16日にマレーシアが建国された頃、マレーシアは北朝鮮の敵であった。それはインドネシアとマレーシアの紛争に起因する。

 インドネシアのスカルノ政権はボルネオ島(カリマンタン島)全域の領有を主張する一方、マレーシアを英国がつくった傀儡(かいらい)と批判して承認しなかった。マレーシアとインドネシアの間で武力衝突さえ発生した。中ソ対立の最中、非同盟運動に近づきたい北朝鮮は、非同盟運動の雄であるインドネシアとの友好関係を築くため、インドネシアと共にマレーシアを承認せずその存在を非難した。

 インドネシアは1965年1月に、マレーシアが国連安保理の非常任理事国に選出されることに反対して、国連からの脱退を通達した。このとき、北朝鮮はインドネシアの行動に賛同している。もちろん北朝鮮自身も当時、国連加盟国ではない。

 ただし、1965年9月30日のクーデターが原因でスカルノが失脚して、スハルト政権が成立すると、インドネシアとマレーシアの対立は解消され、インドネシアが国連に脱退を通達したことも「脱退しなかった」こととして処理された。北朝鮮は、はしごを外されたのである。ただし、金日成(キム・イルソン)一族とスカルノ一族の交流はその後も続いている。

 1970年代に入り、北朝鮮が非同盟諸国との関係を本格的に構築し始めると、北朝鮮はマレーシアとも国交を締結した。マレーシアは北朝鮮よりも早く、1970年に非同盟運動に加盟した。北朝鮮による非同盟運動への加盟申請が通ったのは1975年である(加盟は1976年)。とはいえ、それでも、北朝鮮とマレーシアの関係が特段良かったわけではない。

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