イスラム教徒の聖地巡礼は行われるか
中東における黒死病の流行で興味深いのは、バグダード(バグダッド)を囲んでいた軍がイラクやイランに感染を拡大させていったとされることだ。また、イスラーム(以下、イスラム)教徒が一生に一度は果たさねばならない巡礼(ハッジ)の義務も感染拡大の原因となった可能性がある。このときのペストの流行で、イスラムの聖地マッカ(以下、メッカ)の人口は激減してしまったという(メッカでのアウトブレイクは1349年とされる)。大規模な人の移動が感染を拡大する大きな要因であったことは、今回の新型コロナウイルスのケースと同じである。
ちなみに今回、サウジアラビアは、聖地メッカへの小巡礼(ウムラ。義務としての巡礼=ハッジ=とは異なる)や第2の聖地マディーナ(メジナ)への参詣をいち早く停止している。しかし、トルコ政府が3月15日、ウムラから帰国したトルコ人が感染していたと発表した。今年のハッジは8月に当たる。果たしてそのときまでにコロナウイルス騒ぎは終息しているだろうか。
また、仮に終息していなかった場合、はたしてメッカ巡礼は行われるのだろうか。200万人以上の信者が毎年、世界各地からメッカを訪れ、数日の間続く巡礼の儀式に参加する。儀式の多くは屋外で行われるものの、濃厚接触の機会は少なくないはずだ。メッカ巡礼が停止になったことが過去においてあったかどうか、寡聞にして知らないが、仮に状況が悪いままだったなら、サウジアラビア政府は重大な決断を迫られることになるだろう。
中東のクラスターになったイラン
なお、今回の新型コロナウイルスに関連し、中東で最多の感染者・死者を出しているのはイランである。同国についても、感染拡大に関し宗教的な要因が指摘されている。イランにおける最初期の感染者が中国との間で頻繁に往来を繰り返していた商人であったことから、イランの新型コロナウイルスは中国からきたものと考えられている。しかし、その後、急激に感染者が増加したため、イランは周辺諸国へ感染を拡大させるクラスターになってしまった。特に湾岸アラブ諸国ではイランからの帰国した人たちから感染者が多数確認されている。
しかも、サウジアラビアやバハレーン(バーレーン)などイランと国交を断絶しているはずの国ですら、イランから大量の自国民を避難させている。おまけに、その帰国者のなかから100人、200人もの感染者が出ているのだ。こうした感染者はイラン国内のシーア派聖地を巡礼したり、神学校などで学んだりしていたシーア派信徒だと考えられている。
もちろん、イランに限らず、イスラム諸国においては、人と人の間の距離が近くなる礼拝という宗教義務があり、これもまた感染を拡大させる要因ではないかと懸念されている。特に毎週金曜日に集団で実施する金曜礼拝はモスクといった閉鎖空間で行われ、礼拝中の信者間の距離も近く、濃厚接触の機会も増える。現時点ではまだ確証はないものの、イランで国会議員や政府の要人が多く感染したのは、礼拝などの宗教行事が関係していた可能性があろう。
サウジアラビアでは通常1日5回の礼拝のとき、店舗が一斉に閉められてしまい、ムスリムが礼拝に行くことはなかば義務化されている。だが、サウジアラビア最高の宗教権威である「最高ウラマー会議」は3月12日、新型コロナウイルス感染者が集団礼拝に参加することを禁止、感染の恐れがある者は自宅で礼拝を行うよう呼びかけた。
イスラム世界の一部には「信仰の力で病原菌と戦え」と宣(のたま)う過激な説教師や法学者もいるようだが、いくらなんでもむちゃであろう。実際、イランでも濃厚接触の可能性が高まるイマーム廟(びょう)などの聖地が次々と閉鎖されている。
ちなみに過激派組織「イスラム国」(IS)も3月12日に発行した週刊戦果報告「ナバァ』誌最新号で新型コロナウイルスに対する彼らの立場を説明している。それによれば、感染症は、アッラーのみわざであり、誰でも感染する恐れがあるとし、預言者ムハンマドの言行を引用しながら、感染者に近づくなとか、せきをするときは口を覆えとか、手を洗えといった至極常識的なアドバイスをしている。
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