バイデン大統領は、対中政策における解をみつけることができるか(写真:AFP/アフロ)
米国にバイデン新政権が発足して約1カ月。その対中政策はトランプ政権時代から変わっていない。両国は今後、妥協をし、関係を改善することができるのか。中国事情に詳しい瀬口清之・キヤノングローバル戦略研究所研究主幹は、ルールの遵守に固執するのではなく「共感と思いやり、譲り合いの精神」が必要と説く。しかし、今のところ両国の体勢は整っていない。中国は香港での強圧姿勢を強める。米国も人権問題などのダブルスタンダードを是正する必要がある。
(聞き手:森 永輔)
瀬口清之キヤノングローバル戦略研究所研究主幹(以下、瀬口):米国のバイデン政権が発足して1カ月強がたちました。今日は、その対中政策に対する、米中両国の有識者の評価をお話ししたいと思います。
バイデン政権の対中政策については、「トランプ政権の方針から大きく変わることはない」という見方と、「米国は『変わる国』。振り子は再び逆に振れる可能性がある」という見方が交錯しています。日本では前者の見方が多いですね。(関連記事「バイデン政権の外交戦略、『日韓との核シェアリングもあり得る』」)(同「米国は振り子、バイデン氏に尖閣への安保条約適用を確認を」)
瀬口:そうですね。米中両国の有識者の間では「予想通り厳しい態度だ」という見方が主流となっています。その象徴的な動きは、台湾の駐米代表に相当する蕭美琴氏をジョー・バイデン大統領の就任式に招いたことです。
瀬口 清之(せぐち・きよゆき)
キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 1982年東京大学経済学部を卒業した後、日本銀行に入行。政策委員会室企画役、米国ランド研究所への派遣を経て、2006年北京事務所長に。2008年に国際局企画役に就任。2009年から現職。(写真:丸毛透)
実は、トランプ政権が退陣する間際、マイク・ポンペオ国務長官(当時)が米国務省のある内規を撤廃すると発表しました。「米国は台湾当局の外交・軍事関係者との接触を自主的に制限する」という内規です。
歴代の米政権は、中国本土と台湾は不可分の領土とする「一つの中国」政策を踏襲してきました。その具体的な表れが、この内規ですね。
瀬口:はい、前例無視を繰り返してきたトランプ政権がこれを撤廃したのです。中国から見るとこれは明らかに非常識な行為。よって、バイデン政権がこれを元に戻すかどうか注目していました。バイデン政権は就任に当たってこれを元に戻すことはなく、さらに蕭美琴氏の招待へと歩みを進めました。
加えて、バイデン政権は国防総省の中に中国政策を立案するタスクフォースを立ち上げました。国防長官特別補佐官を務めるイーリー・ラトナー氏を中心に15人のメンバーからなる新組織で4カ月以内に提言を出すことになっています。テーマはインド太平洋地域における米軍の態勢、同盟国の役割、技術の開発、情報収集、軍事作戦と多岐にわたります。この提言がどのようなものになるのか注目されています。
ただし米国の有識者はこのタスクフォースがどれだけの影響力を持つかについて懐疑的です。ラトナー氏は中国通の現実主義者ですが、これまで主に国務省の仕事に携わってきました。外交には詳しいですが、軍事の仕事に携わる機会は多くはありませんでした。国防総省内での人脈も多くはありません。また、この提言をバイデン政権の政策に反映するためには、国防総省と国務省が協力する必要があります。しかし、今のところ国務省と国防総省の連携を強化するための新たな組織を作る動きは見られていません。
バイデン政権のこの厳しい態度は大きく変化しないまま少なくとも1年は続くというのが、中国の有識者の見立てです。一方、米国の有識者の中には早ければ夏場または秋頃には何らかの変化が見られるとの見方もありますが、やはり当面は大きく変化しないと考えられています。バイデン政権は内政、中でも党派の分断を和解させ結束を強める政策にその政治リソースを割かざるを得ないからです。
1.9兆ドルのコロナ対策など内政に政治資源を奪われる
バイデン政権にとって当面の重要政策は、1.9兆ドルに上る経済対策法案の扱いですね。この法案が可決されればコロナ対策だけでなく、インフラ建設、製造業復活の支援といった政策が実行されることになります。
この法案には野党・共和党が強く反対しています。そんな中、民主党が過半数を握る米下院が同法案を2月末に可決しました。
瀬口:バイデン政権がこの法案を上院で強行に可決するかどうかが注目です。国民の期待が大きい法案なので、共和党議員の中から賛成に回る人が出てくる可能性があります。しかし、上院にはフィリバスターの制度がある。
フィリバスターは「合法的議事妨害」の制度ですね。多数党が進めようとする法案を少数党がいつでも合法的に止めることができる。かつては長時間の演説を行って審議時間を消費し法案を採決させない行為などを指す言葉でした。いまは演説をする必要もありません。フィリバスターを阻止するためには、多数党が60以上の賛成票を確保する必要があります。
瀬口:ただし、これを阻止する奥の手があります。新議会期の冒頭で上院は単純過半数の賛成により議事規則を改正できる。この方法でフィリバスター制度を修正する。そうすれば、単純過半数(51票)で可決が可能となります。民主党は上院で50議席を有しているので、議長を務めるカマラ・ハリス副大統領の1票を加えれば可決できる。
ただし、この改正を行うと、下院との対比で少数意見を尊重する上院の特性が失われるほか、与野党の立場が逆転した際に共和党に対してフィリバスターで対抗することができなくなるリスクもあるため、慎重論が根強くあります。
この奥の手を使って採決を進めれば、民主党と共和党の分断が広がりますね。
瀬口:その懸念はありますが、米国民の7割が賛成しているこの法案を通さなければ国としての結束が高められません。賛成する国民の中には共和党支持者も多く含まれています。
バイデン政権は、バイデン氏が副大統領を務めたオバマ政権の轍(てつ)を踏まないとの考えを強く持っているようです。オバマ政権は共和党との妥協を重視するあまり、オバマケア以外の重要政策を進めることが事実上できませんでした。
中国との関係を改善すれば米国経済にとってプラスの影響が期待できます。しかし、この1.9兆ドルの経済対策がもたらす効果に比べれば限定的と言わざるを得ません。この点からも、バイデン政権が中国との関係を見直すとしても、内政面の優先課題を片付けるまで待つ必要がある、と米国の有識者はみています。
加えて、議会は政党の区別なく対中強硬姿勢で一致しているため、これを無視して現在の厳しい対中姿勢を大幅に修正することは難しいと見られています。
このような環境において注目されるのが、インド太平洋調整官という新設ポストに就いたカート・キャンベル氏の動向です。同氏は対話の重要性を強調しており、昨年来止まっている米中間の外交・安保対話の再開が期待されるからです。台湾をめぐる緊張を沈静化するためには対話が欠かせません。
経済の緊密化が進む一方で、政治の緊張が高まる
バイデン政権の対中政策について、欧州で活動する中国専門家の話を聞く機会がありました。米欧のどちらにも「中国を孤立させようと図る勢力がある。米欧の協力関係を強化することによって中国を国際社会の中で孤立させる方向に追い込めば、中国が予測がつかない行動を取るリスクが高まる」との見解でした。
「孤立」というのは具体的にはどういう状況を想定した発言だったのでしょう。「予測がつかない行動」とはどんな行動ですか。
瀬口:この人物がいう「孤立」は、経済のデカップリングが一層進んだ状態です。AI(人工知能)や半導体など安全保障に関わる最先端の製品や技術だけでなく、一般の民生品にまで輸出規制がかけられる状態。例えば、米アップルや独自動車大手のフォルクスワーゲンに中国市場からの撤退を求める、という具合です。
加えて、香港、新疆ウイグル地区における人権問題や台湾問題を厳しく責め立てることも含むでしょう。中国にとってこれらは内政問題です。これらの地域に対する外国の干渉を許せば、他の地域や他の国内ルールにも影響が拡大しかねません。決して妥協はできない部分です。
このように中国が「孤立」するようもくろむ勢力があり、それが現実のものとなれば、米中間で何かしらの軍事衝突が起こるリスクが高まる、という発言でした。
言い換えれば、「やりすぎは禁物」という意見です。トランプ政権は、米国が進めてきた関与(engagement)政策は何も成果を生まなかったと決めつけました。しかし、実際には、WTO(世界貿易機関)への加盟を認められ、経済的利益を享受する中で、中国も自由貿易や市場メカニズムなど西側が掲げる価値観をしだいに受け入れるようになりました。ただし、その変化の速度は欧米諸国の期待を下回るものでした。
中国が政治体制において欧米式の民主化を進めるのは極めて難しい状況ですが、経済体制においては関与政策の効果が徐々に見られています。それでも、国有企業への優遇措置などを縮小するにはまだ時間がかかりそうです。
その一方、環境問題など協力できる案件も浮上しています。従ってこの欧州在住の専門家は「協力できるところと、譲れないところをそれぞれ明らかにする。相手側が譲れないところをお互いに認め合う相互理解と相互尊重の上に、欧米と中国との新しい関係を築くべきだ」と考えているのです。
中国が望んでいた「新型大国関係」を認めよう、という考えに聞こえますね(関連記事「バイデン時代の米中、中国が描く3つのシナリオと新型大国関係」)。習近平(シー・ジンピン)国家主席が2013年にオバマ政権に提示した概念です。「衝突しない」「中国のやることに口を出すな」ということを米国に暗に求める概念でした。
瀬口:「新型大国関係」は米国と中国が対等な大国同士として互いに尊重し合おうという考え方に基づいていると思います。これは米中の2国間関係に重点が置かれたものであると思います。欧州の専門家が主張する「譲り合い」は、米中両国が他の中小国に対しても同様に相手国の意思を尊重すべきであるという考えに基づいています。
経済分野に着目すれば、欧米企業は中国でのビジネスを拡大。中国はそれを歓迎し、各地方において積極的に支援しています。中国経済は1980年代以降、対外開放体制を土台として発展を支える仕組みがしっかりと根付いています。2001年のWTO加盟で開放政策がさらに加速しました。その構造の上で、中国は引き続き世界経済に組み込まれる方向に動いている。米エクソンモービルや独BASFは広東省においてそれぞれ100億ドル規模のプラント建設を進めています。米スターバックスや仏ロレアルグループも中国ビジネスを強化する方針です。
中国でも政治のレベルでは米国のデカップリングに対抗して海外への依存度を引き下げるべきだと主張する勢力が一定の力を持っていますが、実体経済は逆に世界経済への依存度が高まり続けているのが実情です。
米中関係は、ビジネスと経済における関係が緊密の度合いを高める一方で、政治面では①デカップリングや②人権と内政をめぐるすれ違いが緊張の度合いを高めています。中でも人権と内政をめぐるすれ違いは妥協の余地がありません。
ルールの順守だけで解決はできない、求められる「思いやり」
バイデン政権に代わっても難しい関係が続きますね。解決策はあるでしょうか。
瀬口:米中両国が2国間を隔てる感情論をコントロールし、長期かつグローバルな視点に立って建設的な議論を重ね、お互いが妥協できる着地点を探す--それが唯一の解です。
最近の風潮を考えると、期待はできません。いったん自国の方針を決めると、それを修正することなく自国の主張をかたくなに押し付ける傾向が強くなっているからです。実はこの傾向は米中問題や国際関係に限りません。至る所で目にするようになりました。
典型はトランプ政権のありようです。コロナ対策のためのマスク着用の拒否しかり、オバマ政権のあらゆる政策への反対姿勢しかり、中国とのデカップリングしかり。いったん方針を決めると、その政策がどのような結果をもたらそうとも、修正のための議論をすることなくやり続ける、という具合です。
マスク着用の拒否は感染の大きな拡大を招きました。パリ協定やTPP(環太平洋経済連携協定)からの離脱は米国の国際社会での信頼を失墜させた。中国に対する制裁関税は米国自身の経済を傷めることにつながりました。
この傾向を容認すれば、分裂は深まるばかりです。なんとか建設的な議論に戻さなければなりません。
そのために大事な土台となるのは、私は「義」だと思います。
辞書を引くと、「利害を捨てて、条理に従い、人道・公共のために尽くすこと」(広辞苑より引用)とあります。
瀬口:今の世界は西洋思想の影響が強く、自らが打ち立てたルールの順守を重視します。そして、いったんルールを定めると、そこからそれることをよしとしません。多くの場合、ルールを定める際に関係者は自らの利害を考慮して、なるべく自分に有利になるようにルール形成を誘導します。そのような形で決められたルールを厳格に順守しても社会全体の長期的利益につながるとは限りません。
具体的な問題が生じたとき、その問題の本質を見極め、自らの私欲(利害)を捨て、共感と思いやりをもって相手の立場を理解・尊重し、互いに譲り合いの姿勢をもって解決策を考える。周囲の批判に立ち向かい、勇気をもってこの姿勢を貫く心構え、それが「義」です。そうしなければ、皆が納得でき皆のためになる妥協点(公共)を見いだすことはできないのではないでしょうか。
共感と思いやり、譲り合いの精神で争いを回避できた例は、これまでの歴史にあるでしょうか。
瀬口:東洋においてはありました。
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