サウジアラビアで長く石油相を務めたアハマド・ザキ・ヤマニ氏がこの2月に亡くなった。第1次、第2次石油ショックを演出。石油利権をめぐる欧米諸国との交渉を円滑にまとめた。退任後は「石油時代の終わり」を予言。「石油時代の象徴」として活躍し、その死は「石油時代の終わり」を象徴する人物だった。

(写真:IMAGNO/アフロ)
(写真:IMAGNO/アフロ)

 サウジアラビアの元石油相、アフマド・ザキー・ヤマーニー(以下、アハマド・ザキ・ヤマニ)が2月23日、英ロンドンの病院で亡くなった。90歳だった。1962年から1986年までサウジアラビアの石油相を務め、第1次石油ショック、第2次石油ショックなどで産油国代表として重要な役割を果たした。1975年にはオーストリアのウィーンで石油輸出国機構(OPEC)加盟国の他の閣僚とともにテロリストのカルロス(ジャッカル)らによって人質にされる経験もした。

 ヤマニは、サウジアラビアがサウジアラビアと改称する前の1930年、マッカ(以下、メッカ)に生まれた。

父と祖父はイスラム法学者

 父のハサン・ビン・サイード・ヤマニは、イスラーム(以下、イスラム)の多数派、スンナ派(以下、スンニ派)が公認する4つの法学派の1つ、シャーフィイー派に属し、有名なカァバ神殿のあるメッカのハラーム・モスクでイスラム法学などを学んでいた。その後、この父はインドネシアとマレーシアに渡る。マレーシアではムフティー(宗教的判断を下す資格のある高位の法学者)に選ばれ、第2次世界大戦後に帰国した。サウジアラビアではハラーム・モスクや自宅でイスラム法学を教えた。

 祖父のサイードは、サウジアラビアの南の隣国、イエメンの生まれ。その後、聖地メッカに移住し、やはりシャーフィイー派のイスラム法学者として、ハラーム・モスクで教えていた。

 父と祖父にはしばしば「サイイド」という敬称がつけられている。これは預言者ムハンマドの子孫であることを表す(サイイドは、祖父の名、サイードとはまったく別の語)。実際に子孫なのかは不明であるが、ヤマニ家がきわめて宗教的色彩の強い名門であったのは間違いない。

 なお、サウジアラビアの法学はシャーフィイー派ではなく、ハンバリー派である。ちなみに、よくいわれる「ワッハーブ派」というのはサウジアラビア版ハンバリー派を指し、公式の用語ではない。また、サウジアラビアではハンバリー派以外が禁止されているわけでもなく、現在でもハンバリー派以外の法学者がサウジアラビアの最高宗教権威である「最高ウラマー会議」のメンバーになっている。

続きを読む 2/3 王家の政争のあおりで石油政治の表舞台に

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