この動きは、イスラエルに探知された。8月15日にイスラエル軍は、ラジオ放送を通じて、エジプトにおける北朝鮮パイロットの存在を探知したと発表した。北朝鮮の人民武力部は8月18日にスポークスマン声明でイスラエル軍の発表に反論し、その存在を否定した。この時、シャーズィリーも、エジプト大統領のメディア対策補佐官であるアシュラフ・グルーバルから「この情報は本当か」と質問されている。朝鮮人民空軍がエジプトに派兵されていることはエジプト政府内でも秘密だったのである。

 ただし、北朝鮮のパイロットは隔離されていたわけではない。彼らは空軍司令官であるムバラク(後の大統領)の指揮下にあり、北朝鮮のパイロットが所属した基地には、約3000人のエジプト人が働いて、レーダーや防空、地上警護、行政事務も全てエジプト人が行っていた。しかし、北朝鮮のパイロットは自律的であり、住居も自分たちで整え、あらゆることを自分たちの力で行おうとした。訓練、学習、体育――彼らには余暇というものがなかった。事務手続きでトラブルを起こす者は1人もなく、シャーズィリーは「北朝鮮とエジプトの関係は望みうる最高のものであった」と回顧している。

北朝鮮がイスラエルのF4を撃墜

 第4次中東戦争が勃発したのは10月6日であった。エジプトとシリアの連合軍がイスラエル軍を急襲した。イスラエルは戦争初期において敗北を喫したが、やがて反撃を始めた。イスラエルが反撃に出た後、金日成はアラブ諸国支持を前面に打ち出した。10月17日に金日成は、平壌駐在のエジプト臨時大使とシリア大使に会い、北朝鮮政府が軍事も含めた支援をエジプトとシリアに送ることを決定したと伝えた。10月18日に、イスラエルと北朝鮮の空軍部隊が交戦したことを米国政府が発表し、北朝鮮の空軍部隊の参戦は国際的に知られた。北朝鮮の空軍部隊は最初の戦闘で、イスラエル空軍の戦闘機F4を4機撃墜したという。

 シャーズィリーによると、実は北朝鮮のパイロットは第4次中東戦争が勃発する前にもイスラエル空軍と交戦したことが2、3回あったという。おそらく小競り合いレベルであろうが、北朝鮮のパイロットは戦争前からイスラエル空軍との実戦経験があったのである。

続いてシリアにも派遣

 戦況が進むと、シリアにも北朝鮮のパイロットが派兵されることになった。シリア政府から派兵要請があったからだ。北朝鮮は直ちにパイロットを送ることを決定した。シリアに派兵されるパイロットと10月23日に面談した金日成は、エジプトに派兵したときと同様に、交戦まで情報漏洩を防ぐように命令した。さらに大量の物資もシリアに運んだ。エジプトと同様、機密扱いの派兵であった。

 北朝鮮は実際にパイロットをシリアに派兵した。しかし、それは停戦後であったはずである。1973年10月22日に国連安全保障理事会が現状での即時停戦を求める決議を採択し、エジプトは10月23日に決議を受諾した。シリアも10月24日には同決議を受諾した。戦闘が全くなくなったわけではないが、第4次中東戦争は停戦によって一旦の区切りがついた。11月7日に金日成は、エジプトにいるパイロットたちに祝電を送り、全員が無事であることを祝った。北朝鮮のパイロットには犠牲者がいなかったのである。

ソ連製弾道ミサイル「R-17E」が北朝鮮の手に

 北朝鮮は第4次中東戦争後、エジプトやシリアに軍需工場を建設して、両国との友好関係を大切にしたが、同様にエジプトやシリアも北朝鮮を重視した。朝鮮人民軍空軍派兵の見返りとして、エジプトは北朝鮮にソ連製弾道ミサイルであるR-17Eを引き渡したことが韓国国防部によって確認されている。ノドンやテポドンをはじめとする北朝鮮の弾道ミサイルの開発は、この弾道ミサイルから始まった。

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