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ソ連に追随してベトナムと国交樹立

 北朝鮮とベトナム民主共和国(当時、北ベトナム)の間に国交が樹立したのは、1950年1月31日であった。この日はソ連と北ベトナムが国交を樹立した日でもあった。いっぽう、中国と北ベトナムの間には1950年1月18日に国交が樹立していた。北朝鮮は中国が北ベトナムを承認したから北ベトナムと国交を樹立させたのではなく、ソ連が北ベトナムを承認したから北ベトナムと国交を樹立させたのである。

 北朝鮮にとって北ベトナムは、ソ連を中心とする「社会主義陣営」における多くの国家の一つでしかなかった。

 北朝鮮にとって北ベトナムの価値が高まったのは、中ソ対立が契機である。キューバ危機以降、公にソ連批判を始めた北朝鮮は、中国との関係を強化して、曖昧な態度を取る北ベトナムを仲間に引き入れようとした。ところが、北朝鮮と北ベトナムは、ソ連の最高指導者であったニキータ・フルシチョフ失脚を機にソ連と和解してしまう。そのため、中国は、北朝鮮や北ベトナムとの関係を冷却化させていった

 しかし、ベトナム戦争には、分裂状態になった「社会主義陣営」が共同で対処した。対立している中国もソ連も軍隊や支援物資を送って、北ベトナムを助けた。北朝鮮も「社会主義陣営」の和解の希望をベトナム戦争に見出し、北ベトナムに軍隊や支援物資を送った。

 空軍と工兵部隊をベトナムに送ったことは、現在の北朝鮮も公表している。空軍は、第203軍部隊(北ベトナム空軍第923連隊)であり、総勢約150名であった。1966年から1969年まで米軍26機を撃墜し、14名の戦死者を出した。

 しかし、この頃から北朝鮮と北ベトナムの関係は冷却化が始まる。1969年9月2日に死去したホー・チ・ミンの葬儀に、北朝鮮からは最高人民会議常任委員会委員長(国家元首に相当)である崔庸健(チェ・ヨンコン)が参加した。この崔庸健が、その帰途に北京に立ち寄り、中国首相である周恩来と会談したことが、冷却化していた中朝関係を復活させるきっかけになった。皮肉なことに、中国との関係が復活したことが一因で、北朝鮮とベトナムの関係が対立的なものになっていくのである。ベトナム戦争に従軍した北朝鮮将兵たちも、帰国後に批判を受けることになった。

北朝鮮はヘン・サムリン政権を認めず

 1973年にパリ和平協定が締結され、1976年に南北ベトナムが統一されたが、ベトナムには戦乱が続いた。ベトナムはカンボジアとの関係が悪化して、1978年にはカンボジア・ベトナム戦争が勃発し、1979年には中国がベトナムを攻撃したことで中越戦争が勃発した。

 カンボジア・ベトナム戦争によって、ベトナムはカンボジアにヘン・サムリン政権を樹立した。ソ連は1979年1月9日にこれを認めたが、中国と北朝鮮はそれを認めず、ベトナムを非難した。北朝鮮はベトナムとカンボジアの大使を引き揚げて、ベトナムと敵対関係になった。

 北朝鮮とベトナムの関係は、1980年代中頃から修復が始まったと言われている。1988年には、ベトナムのヴォー・チ・コン国家評議会議長(最高指導者ではないが、国家元首に相当)が、北朝鮮建国40周年慶祝行事に参加するために、訪朝した。しかし、冷戦終結後も、北朝鮮とベトナムの関係は微妙であった。1992年12月22日にベトナムが韓国と国交を樹立したことは、朝越両国がつかず離れずの関係であったことを示している。