全3998文字

カルロス・ゴーンはブラジル大統領になりたかった?

 日本で大騒ぎになっているカルロス・ゴーンもレバノン移民の子孫としてブラジルに生まれた(なお、アラビア語メディアでは彼の名前は「ゴスン」と発音される)。ゴーン家はマロン派キリスト教徒で、祖父の代にブラジルに移住してきたらしい。カルロス・ゴーンは6歳のときに、レバノンの首都ベイルートに移り、そこで高校を卒業後、フランスのエリート学校エコール・ポリテクニークとエコール・デ・ミンヌを卒業している。そのため、彼はブラジル・レバノン・フランスの3つの国籍をもっている(レバノン人が複数の国籍をもつのはめずらしくない)。その後のフランスや日本での活躍ぶりは指摘するまでもない。

 ゴーンは祖国との強い結びつきを保っている。レバノン系ブラジル人はかならずしも故郷レバノンと密接な関係を維持しているわけではないとの説もあるが、同氏は約10年をベイルートで過ごしたゆえだろうか。結婚した妻は2人ともレバノン系(同氏は2度結婚している)。日産自動車との火種の一つとなった豪邸をベイルートに持っている。

 噂にすぎないが、蓄財の理由は、日産ルノー連合を辞めたあとにブラジル大統領になるためだといった話も広がっている。ただし、ブラジルではゴーンよりも先にブラジル大統領になったレバノン系移民がいる。2016~18年まで大統領職にあったミシェル・ミゲル・エリアス・テメル・ルリアである。ただ、残念なことに彼も汚職疑惑で晩節を汚してしまった。

 一方、レバノンでは、本気でゴーンをレバノン大統領に推す声が出ている。レバノンでは大統領はマロン派、首相はイスラームのスンナ派、国会議長が同シーア派と宗派別に割り振られているので、マロン派のゴーンは首相にはなれないけれど、大統領にはなれる。ゴーンはまさにレバノンのサクセス・ストーリーの象徴だ。レバノン郵便が2017年に彼の切手まで発行したのはそのことをよく表している。レバノンで実業家の名を冠した切手が発行されたのは初めてだったそうだ。

 事件発覚後も状況は変わらない。レバノン外務省は、ゴーン逮捕後、日本の駐ベイルート大使を外務省に召致している。レバノンの駐日大使は何度も拘置所でゴーンを接見し、祖国の英雄を気遣う様子を見せている。

 昨年12月、ベイルート市内のあちこちに「われらはみなカルロス・ゴーンWe are all Carlos Ghosn」というスローガンと彼の巨大な顔写真を写した電光掲示板が立てられたとの報道があった。「われらはみな~」は連帯を示すのにアラブ世界でしばしば用いられる言い回しだ。しかもアラビア語ではなく、英語で書かれているあたり、これが日本を含む世界に向けられていることがわかる。

 電光掲示板に写るゴーンの写真をよくみると、彼の顔のなかにうっすらと無数の人の顔が写っている。レバノン人はみなゴーンを支持しているとの主張であろう。レバノンの代表的なアラビア語日刊紙ナハールのウェブサイトには、ちゃんとゴーンのコーナーが設けられており、事件への関心の高さがうかがえる。

レバノン系大統領が在イスラエル大使館をテルアビブに再移転

 中南米のアラブ系大統領が彼らの祖先の地の政治に影響を与えることはこれまでそれほどなかったと思う。しかし、状況は変わりつつあるのかもしれない。昨年就任したばかりのパラグアイの現職大統領マリオ・アブド・ベニテスもアラブ系、正確にはレバノン系だ。アブド・ベニテスは在イスラエルの同国大使館をエルサレムからテルアビブに戻すと発表した。パラグアイは前大統領のカルテスが現職だったとき、パラグアイ大使館をテルアビブからエルサレムに移転していた。米大統領のトランプが在イスラエル米国大使館を遷したのに追随したのである。

 これが、アラブ系大統領ゆえの決定なのかは不明だが、この決定がイスラエルを激怒させたことは言うまでもない。アブド・ベニテスが再移転を発表した数時間後、イスラエルの首相ネタニヤフは同国の在パラグアイ大使館を閉鎖する命令を下した。国際政治において移民の果たす役割は今後ますます重要になってくるかもしれない。(敬称略)

保坂 修司(ほさか・しゅうじ)
日本エネルギー経済研究所 中東研究センター 研究理事

1984年、慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。在クウェート日本大使館および在サウジアラビア日本大使館で専門調査員。近畿大学教授を経て、2010年より日本エネルギー経済研究所 中東研究センター 研究理事。