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習近平氏は「集中」を重視しすぎたか(写真:新華社/アフロ)

 中国で発生した新型コロナウイルスによる肺炎の及ぼす影響が拡大し続けている。日本においても感染が新たな段階に入ったし、世界経済に悪影響が及ぶ懸念も増大している。中国自身、甚大な打撃を受け始めている。経済への影響が深刻になれば、社会の安定にも波及する。初動のつまずきがつくり出した国民との間の溝は容易には埋まらない。今回の出来事は、中国の統治(ガバナンス)のあり方、ひいては中国の将来に対し、大きな影響を及ぼすことだろう。

 中国当局が事態を掌握し、沈静化させることができるかどうかですべてが決まる。これに成功しなければ状況は悪化し、世界に及ぼす影響も計り知れない。2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群) の事例と比較しながら考察すると、物事の本質がよく見えてくる 。

 SARSは、02年11月中旬に広東省で発生。それが公表されたのは翌03年2月、同省において急速にまん延し始めたときだった。広東省政府が動いたのも、そのときになってからだ。

 中央指導部は当初、事態を楽観視していた。同年4月3日、責任者である衛生部長は「すでに有効に抑制されており安全である」と大見えを切った。しかし温家宝総理は各方面の意見を積極的に聴取し軌道を修正した。情報の隠蔽があり、内部告発があり、国際社会の批判が高まったからであろう。同17日、政治局常務委員会は、各レベルの指導幹部に対し「疫情を正確に把握し、事実を定期的に社会に公表せよ。報告を遅らせたり虚偽の報告をしたりしてはならない」と指示した。

 同20日、衛生部長と北京市長が突如解任され、有能なことで定評のある呉儀副総理が衛生部長を兼任し、王岐山海南省書記が北京市長代行に就任した。

政権移行期をSARSが襲った

 対応が後手に回ったことについて、胡錦濤・温家宝政権に同情の余地はある。胡錦濤が総書記に選出されたのは02年11月であり、温家宝が国務院総理になったのは03年3月であった。つまり政権移行期にSARSが指導部を直撃したことになる。同3月にはイラク戦争が勃発した。世界は多事多難だったのだ。

 中国における政権移行期は鬼門だ。習近平(シー・ジンピン)が総書記になったのは12年11月。同年12月に尖閣問題が起こり、中国の対外強硬路線が一挙に強まり、米中対立の伏線となる。李克強(リー・クォーチャン)が総理になったのは翌13年の3月だった。

 政権移行期は権力の空白期でもある。ここをSARSが襲った。事なかれ主義、保身、責任回避といった官僚機構によくある病弊が噴出する。中国共産党と政府は巨大な官僚機構なのだ。それが組織的な情報の隠蔽を再生産する。あの当時、中国は感染症に対する知識も十分でなく、防疫体制も脆弱だったであろう。SARSは一挙に新政権の成否を占う大事件となった。

 ここを胡錦濤・温家宝政権は踏みとどまった。体勢を立て直し、どうにか巻き戻した。胡錦濤指導部は頻繁に現場に入り、国民とともに戦う姿勢を示した。特に温家宝総理の動きは目覚ましかった。そこで打ち出したのは、透明性の重視であり国際協力であった。今振り返れば、胡錦濤・温家宝政権は危機一髪のところにいたのだ。