
ミャンマーは忘れがたい国である。2002年からわずか2年間であったが、この国で大使を務めた。そして親日国の大使をやらせてもらうことほど幸福なことはないと心底、感謝した。1942年から45年までの日本軍による占領は、ミャンマーの人たちを傷つけたが、それでも無謀な対英インパール作戦で負傷し落後した多くの日本兵を庇護(ひご)し救ってくれた。命を助けられた人たちは、戦後、今度は、お世話になったミャンマーの人たちへの恩返しと戦友の慰霊のために、毎年、ミャンマーを訪れ、支援を続けてきた。
ミャンマーを独立に導いたアウン・サン将軍をはじめとする「30人の志士」は、日本軍の支援と教育を受けた。そのことは軍事博物館に展示されており、ミャンマー国軍でも教えられている。独立後間もなく軍事政権となり世界から孤立するミャンマーに対して、日本政府は賠償の代わりに経済協力を行い、ミャンマーを支え続けてきた。ちなみに、後に軍事政権を率いたネ・ウイン将軍も「30人の志士」の一人である。
相手国の自立を助けることを主眼とする日本の政府開発援助(ODA)は、日本関係者が現場で示す献身的な仕事ぶりを通じ、日本と日本人に対する好感度を高めるのに大きな役割を果たしてきた。
なぜか分からないが、日本人は一度経験すると、ミャンマーという国と国民をすぐに好きになってしまう。だが、外交をやろうとするならば、相手国を冷静に観察することから始めなければならない。そのための極めて重要な作業が、相手国の歴史を知ることである。歴史的に眺める、つまり長期的な広い視野で眺めてみると、物事が立体的に見えてくるものだ。
本年2月1日にミャンマー国軍が起こしたクーデターも、歴史の文脈において眺めてみると、少し異なる風景と将来展望が浮かんでくる。
30人の志士が目指した1948年の独立
人は困難に直面すると、まず自分自身の経験の中から回答を探す。それが難しいと、今度は所属する組織の経験に学ぼうとする。それでもだめだと自分の国の歴史や経験を参照し、最後に世界に目を向けて回答を探す。ミャンマー国軍は、国軍の歴史と経験を参考にして行動しているはずである。
1948年にミャンマーは独立した。だが、独立運動を束ねていたカリスマ的政治指導者であるアウン・サンは、その直前に暗殺されていた。
「30人の志士」が目指した独立の目的は、近代国家の建設であり、当然、選挙で選ばれた政党による統治の実現を目標としていた。ところが独立直後の政党政治は、内輪もめと派閥争いに終始し、混乱を極めた。アウン・サンのような本当の「政治家」がいなかったのだ。
アウン・サンは強力なリーダーシップを持ち、高潔な人柄であり、理想を追求しつつも大胆な譲歩ができた。このような真の「政治家」を生み出せていないところに、今日まで続くミャンマー社会の混乱の根っこがある気がしてならない。
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