NATO軍としてルーマニアに駐留するフランス兵士(写真:AP/アフロ)
NATO軍としてルーマニアに駐留するフランス兵士(写真:AP/アフロ)

 再び、日経ビジネスから難題を頂いた。「ウクライナ戦争の1年を回顧し、その歴史的意義を論じた上で、2023年を展望せよ」というのだから、恐れ入る。歴史学者でもない筆者には荷が重いが、受けた以上はやるしかない。されば、43年前、エジプトでのアラビア語研修中に尊敬する大先輩から教わった「3つの同心円」手法を活用し、筆者なりの分析を進めよう。

 3つの同心円とは、ある国の国際情勢を世界レベル(global)、地域レベル(regional)、2国間(bilateral)の3つの同心円に因数分解し、それぞれの円のベクトルを分析して、全体の流れを演繹(えんえき)する手法だ。本稿では同心円の中心にウクライナを置き、(1)ウクライナとロシアの2国間関係、(2)欧州東部の地域情勢、(3)ウクライナ戦争そのものの世界史的意義をそれぞれ考えたい。

 冒頭からけんかを売るようだが、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領がウクライナで戦争を始めたのは1年前ではない。ウクライナにおける「プーチンの戦争」は、マイダン革命に危機感を抱き、クリミア半島に非正規ミリシア(編集部注:武装集団)を派遣し併合した14年に遡ると見るべきだ。ウクライナ戦争は既に9年間続いており、その悪影響も地球規模で不可逆的に拡大しつつある、というのが筆者の見立てである。

緩衝地帯の崩壊が始まった

 15世紀まで欧州の辺境にすぎなかったモスクワ公国がなぜ「ロシア帝国」になり得たのか。最大の理由は、平たんな大地に囲まれ自然の要塞を欠くロシアが軍事力を使って、周辺領域を次々と「緩衝地帯」として併合できたからだ。ロシア発祥の地であるウクライナは不幸にも、18世紀までにロシア帝国に併合されながら、ロシアと兄弟的関係を維持してきた。

 この特別なウクライナをロシアは1年前、正規軍を使って公然と軍事侵略した。この行為は、14年のクリミア半島併合とは質的に異なる国際法違反の暴挙である。クリミア半島併合はグレーゾーンを主舞台とするハイブリッド戦だった。

 ウクライナは過去9年間で変わりつつある。ロシアに対する特別の感情が薄れ始め、ウクライナ人としてウクライナという国家の独立を守る意識がようやく芽生えたからだ。このことはウクライナに史上初めて、独立した「ウクライナ」民族意識が生まれたことを意味する。皮肉なことに、このウクライナ民族主義を創造したのはウクライナ人ではなく、ロシアのプーチン大統領だった。この戦争がいかに終結しようと、ウクライナ民族主義は消えないだろう。

 戦争の長期化によって、ロシア帝国を支えたかつての緩衝地帯はさらに独自性を強め、NATO(北大西洋条約機構)、EU(欧州連合)への接近・加盟を志向していくかもしれない。

独露の「草刈り場」を脱却して一時的な「安定期」へ

 続いて、東欧史を考える。ナポレオン戦争を除く欧州大陸の近代史は、基本的にドイツとロシアという2つの強力なランドパワーによる覇権争いの歴史だった。この独露覇権争いのはざまで常に貧乏くじを引いてきたのが、バルト3国からチェコ、スロバキア、ポーランド、ルーマニアなどの東欧諸国だった。広い意味ではウクライナも、今やその一部と見てよいだろう。

 例えば、ポーランドは18世紀以降、幾度となく独露を含む周辺諸国により分割され支配されてきた。第1次世界大戦後に一時独立を回復したものの、第2次世界大戦で独ソにより再び分割。戦後に独立を実現したが、ソ連の衛星国となった歴史的に見て、近代以降の東欧地域は、独露の「草刈り場」であったと言えるだろう。

 こう見てくると、ウクライナ戦争の長期化とロシアの弱体化が進むことは、東欧地域が再び「安定期」、すなわちドイツとロシアいずれの脅威も直接及ばない時代に戻ることを意味する。ただし、東欧地域が今後も長期にわたって安定するという保証はない。現在の安定はあくまで一時的なものであり、次の覇権争いが始まるまでの「幕あい」にすぎないかもしれないのだから。

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