
2019年の米国政治展望――編集部から簡単そうで難しいお題を頂いた。トランプ政権の評価については過去2年間でほぼ論じ尽されたのではないか。ドナルド・トランプ氏自身はアメリカ合衆国の政治や統治にあまり関心がない。彼の行動原理は基本的に、自己の優越性、特別性、偉大さを賞賛されるか否かで決まる。残念ながら、彼にとっては外交も内政もその目的を達成するための手段でしかない。
昨年までは、トランプ政権も経験を積めば、それなりの仕事をやるだろうという希望的観測があった。しかし、トランプ氏は大統領府高官や閣僚の入れ替えを断行。内政では国境の壁とロシアゲート、外交ではイランと中国に焦点を当て、相変わらず迷走を続けている。あたかも彼の世界には、「身内と敵と使用人」しか存在しないかのようだ。
70年代から始まった政界のエリート打破
だが、これでは「米国政治展望」にならない。トランプ氏の存在は米国政治の本質ではなく、1970年代のベトナム戦争とウォーターゲート事件以降に起きた米国内政劣化の「結果」もしくは「症状」に過ぎないからだ。急がば回れというように、トランプ時代(またはトランプ後)の米国政治を語るには、過去50年間にわたる米内政の変化を理解する必要がある。
昨年の中間選挙では多くの非白人、女性議員が当選するなど、史上最も多様性の高い議会が誕生したと報じられた。しかし同時に指摘されるのは、新人議員の多くがトランプ氏に批判的な民主党議員であり、議会内で党派的対立が一層深まる可能性だ。このままでは機能不全が著しい連邦議会がさらに劣化・混乱するだろう。なぜ、そうなってしまったのか。
Class of '74という言葉がある。ウォーターゲート事件後の1974年中間選挙で共和党が大敗し、76人もの改革派民主党議員が誕生した。彼らはそれまでの連邦議会の在り方に抗して、年功序列の長老支配打破、権力の分散化、政治資金・選挙区改革などを断行した。しかし同時に、連邦議会内に現在に繋がるような深刻な党派対立の種を撒いたのである。
振り返ってみれば、60年代まで議会は長老ボスが、行政府は各界エリート層がそれぞれ取り仕切っていた。彼らがベトナム戦争とウォーターゲート事件で有権者の信頼を失い、74年にまず議会で力関係が変化した。現在起きているのは、その行政府版だと考えれば良い。最近の米国政治の混乱はトランプ氏の専売特許では必ずしもないのだ。
トランプ以降の米政権が、党派を問わず、行政府を従来仕切ってきた既存エリート層に対する庶民の不満を代弁するようになれば、米国政治の大衆迎合化が進みさらに劣化する。東西冷戦終了後の90年代から米国の保守・リベラル諸勢力の内部分裂が始まった。例えば現在の共和党は、ポール・ライアン下院議長などのエリートが引退し、宗教保守とプアホワイトの政党に衣替えしたかのようにみえる。米国政治を冷戦時代のように再び安定させるには昔のソ連の役割を中国に期待するしかないのか。だとしたら、なんとも皮肉なことだ。
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