
米ロ首脳会談、カザフスタンでの衝突、日米2プラス2――。年末から2週間、世界を騒がすイベントが相次いだ。これらは一見したところ無関係な事象にみえるが、ロシアの視点に立てば1つの文脈でつながる。プーチン大統領の目には、1941年にナチス・ドイツが西欧、東欧、北欧の各国と共にソ連(当時)に侵攻した「大祖国戦争」と重なる。ロシアには約25年ぶりで危機と好機が訪れている。
国際報道を追いかける者にとって、今回の年末年始は例年以上に忙しかったのではないか。米国のジョー・バイデン大統領とロシアのウラジーミル・プーチン大統領は2021年12月30日、約50分間の電話会談を行った。2人は12月7日に電話会談したばかり。年明け1月10日には事務レベル協議が予定されているにもかかわらず、である。しかも、30日の会談はロシア側の求めにより行われたらしい。プーチン大統領は、何か虫の知らせでもあったのか。
案の定、新年2日に中央アジアが揺れた。カザフスタン西部で、燃料価格上昇の抗議デモが始まり、その後、南部のアルマトイで治安当局とデモ隊の衝突が激化した。5日、カザフスタン政府は全土に非常事態宣言を発令。6日にはロシア主導で「集団安全保障条約機構(CSTO)」加盟国部隊2500人が派遣された。今回の衝突では死者が160人、拘束者は8000人を超えると報じられている。
続く7日、今度はインド太平洋地域で動きがあった。日米安全保障協議委員会(2プラス2)がテレビ会議方式で開かれた。共同文書で「中国の軍事的な台頭や北朝鮮の核・ミサイル開発への懸念」を示したほか、中朝の「極超音速技術に対抗するための共同分析の実施」などで意見が一致。日本は米側に「敵基地攻撃能力」保有を念頭に「国家の防衛に必要なあらゆる選択肢を検討する」と表明したという。
過去2週間、ほぼ数日おきに、東欧、中央アジア、東アジアの各地で、相互に無関係の、地域特有の個別の動きがあったようにみえる。だが、本当にそうか。これらを個別に分析することは重要だが、ロシアが専門ではない筆者は今回あえて、これら全体をロシアの視点から分析してみたい。誤解を恐れず言えば、プーチン大統領はロシア「大祖国戦争」を再び戦いたいのではないか。筆者の問題意識はここにある。
1997年「NATO・ロシア基本文書」を拒否するロシア
12月7日の米ロ首脳会談でプーチン大統領はNATO(北大西洋条約機構)に対する新たな戦略を打ち出した。ロシア外務省は同17日、NATO側が「ウクライナなどに対する拡大を慎み、ウクライナや他の東欧、南コーカサス、中央アジア諸国の領土内で軍事行動をしない」「ロシア及びその同盟国とNATO諸国との国境付近で旅団規模以上の軍事演習やその他の軍事活動を行わない」などとする新たな条約草案を公表した。
中でも筆者が注目するのは、ロシア側が新条約の内容として「ロシアと、1997年5月27日までにNATO加盟国であった諸国は、他のいかなる欧州諸国の領土にも、同日までに配備していた以上の軍隊や兵器を配備しないと約束する」ことを求めたことだ。
1997年5月27日は「NATO・ロシア基本文書」が署名された日。NATO側は新たな加盟国の領土に核兵器や常駐部隊を配備しないと約束し、ロシア側はNATOの「東方拡大」を事実上黙認した。プーチン大統領にとって同条約の内容は屈辱的なものであり、今回ロシア側はソ連崩壊後のNATOの東方拡大という「新常態」そのものに真正面から挑戦し始めたように思える。
ロシア側はこの「基本条約」署名で、NATOが「核政策を変更しない」「ロシアに対し敵対的行動は取らない」ことなどを約束したと思っていた。ところが、その後のNATO側の動きはロシア側の理解に著しく反している。今回ロシア側は目いっぱいの提案を行ったのだろう。それにしても、あれから四半世紀がたった今、なぜプーチン大統領はNATO側がのむはずのない要求をあえて行ったのだろうか。
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