6月、インドネシア教育大学で日本への就労を希望する学生に対し、俳句やアニメなど日本の文化を紹介する授業が開かれた。「皆さんは日本の漫画やアニメは好きですか」。講師を務める送り出し機関の関係者がこう問うと、多くの学生が笑顔でうなずく。「では自分の好きな漫画やアニメのキャラクターを書いてみましょう」と促すと、学生は苦もなく自分の好きなキャラクターを描いていく。「ドラえもん」に「美少女戦士セーラームーン」「ドラゴンボール」など日本でも不動の人気を誇る漫画、アニメのキャラクターの数々だ。

 日本人なら誰でも知るマンガやアニメの知名度はインドネシアでも高い。ただ意外だったのは、日本で人気ではあるものの、上述のキャラクターと比べ「国民的」とまでは言えないキャラクターを少なからぬ学生が描いていたことだった。ヒーローマンガ「ワンパンマン(ONE-PUNCHMAN)」の主人公「サイタマ」だ。

タイの出版社が集英社からライセンスを得て発行している「ワンパンマン」のタイ語版。価格は70バーツ(約240円)前後と日本に比べれば低価格に設定されているが、読者の多くは海賊版に流れている。
タイの出版社が集英社からライセンスを得て発行している「ワンパンマン」のタイ語版。価格は70バーツ(約240円)前後と日本に比べれば低価格に設定されているが、読者の多くは海賊版に流れている。

 集英社の漫画雑誌で連載中の「ワンパンマン」は、主人公が他の仲間と共に数多の「怪人」を退治するという、広く受け入れられているヒーローの物語だが、主人公サイタマには、どんな相手も一撃(ワンパンチ)で倒せてしまう力があり、それ故に悩み、葛藤したりもする。その設定のユニークさやユーモアのあるストーリー、感情移入しやすいキャラクターデザインなどが人気を集め、日本国内の発行部数は2000万部を超え、アニメ化もしている。

 その人気は東南アジアにも波及した。「若い人ならみんな知っている」と日本の漫画のファンで「オタク」を自称するあるインドネシアの大学生は言う。さらに、タイの電子書籍配信大手ウークビー(Ookbee)のパサヴォン・テープレンチャイ・マネージングディレクターは「タイでもワンパンマンの人気は高く、多くのファンがいる」と話す。自身もワンパンマンを愛読しているというパサヴォン氏はサイタマのフィギュアを持って取材に応じてくれた。

読者が読むのは海賊版

 「ワンピース」や「ナルト」「名探偵コナン」のような発行部数が1億部を超える「お化けマンガ」が世界的に人気を集めるのは当然かもしれない。一方で、タイやインドネシアにおける「ワンパンマン」の人気は、日本の漫画人気の裾野が確実に広がっていることを示している。日本のコンテンツを世界に広げようとする、いわゆる「クールジャパン」の成功例とも言えるだろう。

 だが、東南アジアでのワンパンマン人気を必ずしも手放しでは喜べない事情もある。というのも、その人気の背景には海賊版の存在があるからだ。日本の漫画を翻訳して勝手にアップロードしているサイトがいくつもあり、インターネットで検索すれば各国語に翻訳された作品がいくらでも読めてしまう。

 「ネットで無料で読めるから、わざわざ本を買う人は少ない」とインドネシアの学生は言う。ワンパンマンの単行本はインドネシア、タイ、ベトナムの3カ国語に翻訳され、それぞれの国で流通している。ただ東南アジアではそもそも書店の数が少ないため、紙の書籍を目にする機会が少ない。多くの読者はスマートフォンを通じて漫画に触れているが、各国語に翻訳された正規版のワンパンマンは電子書籍化もされていない。

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