世界の名だたる自動車メーカーが生産拠点を構えるタイ。その産業規模は国内総生産(GDP)の約1割を占めるほど大きい。ただマレーシアやベトナム、インドネシアなどと異なり、タイは各社の技術を吸収して国産車を開発する構想は持たなかった。外資系メーカーに依存し続けることが、タイを東南アジア最大の自動車産業の拠点たらしめた。その構造が将来、変わるかもしれない。電気自動車(EV)シフトを好機として、国産EVの開発・量産に乗り出すタイ企業が現れたからだ。
国産EVメーカーとして歩みを始めたのは、2006年創業のタイ企業、エナジーアブソルート(EA)だ。「我々はまだ小さな新参者だが、世界に知られるEVメーカーになるチャンスは十分にあると考えている」。EAの創業者で最高経営責任者(CEO)のソムポート・アフナイ氏は鼻息荒く語る。
同社は今年開かれた東南アジア最大の自動車展示会、バンコク国際モーターショーで自社開発したEV「マインSPA1」の発表に漕ぎ着けた。タイ初の国産EVは注目を集め、現在までに1000台を超える予約を集めた。さらにバンコクで事業展開する複数のタクシー組合が関心を示し、3500台のSPA1を優先供給していくことでも合意している。
エナジーアブソルートが量産を計画する5人乗りEV「マインSPA1」
EAは生粋の自動車関連企業ではない。バイオディーゼル燃料のメーカーとして誕生し、後に太陽光発電や風力発電事業に進出。その収益をテコに4年ほど前からEVやリチウムイオン電池の開発に乗り出した。16年から17年にかけて台湾の電池大手、アミタ・テクノロジーズ(有量科技)に出資し、同社の過半の株式を取得。今年5月末にはEV向けパワートレイン(駆動装置)システムの開発・設計・組み立てを手掛ける台湾のZept(ゼプト)にも出資し、筆頭株主になった。
こうした台湾企業のノウハウを活用してEVを量産する準備を進める。年間5000台を生産できる工場が早ければ年内にも稼働する見通しだ。来年には電気を蓄える「セル」容量に換算して1ギガワット時の電池生産能力を持つ工場も完成する。この工場は最終的に50ギガワット時の生産能力を備えるまで拡張させる計画で、足元で複数の大手企業と出資について交渉を進めている。実現すればパナソニックが米EVメーカーのテスラ向けに構える「ギガファクトリー」を上回る規模になる。
EAの売上高は125億バーツ(約438億円、18年12月期)、純利益は51億バーツ(約177億円、同)程度と、規模だけで比較すれば世界の完成車メーカーとは比較にならないほど小さく、投資余力も限られている。ソムポートCEOは「自動車業界の巨人と対等に競争しても勝ち目はない」と認めながらも、「戦い方次第では十分に存在感を発揮できる」と前のめりにEV事業に取り組む姿勢を崩さない。
エナジーアブソルートの創業者でCEOのソムポート・アフナイ氏(写真右)とCFOのアモン・サトウィクーン氏
自動車不況が参入の好機に
ソムポートCEOが当初注目したのは蓄電池だった。天候によって発電量が変動する再生エネルギーでは、電力の需給バランスを調整できる蓄電池が不可欠な要素になりつつある。そこで4年ほど前から、リチウムイオン電池の開発を進めてきた。EVにも蓄電池は欠かせない。ソムポートCEOはEV市場についても調査を進めたところ、参入の余地があることに気づいた。「自動車業界はEVシフトによる変革と混乱に見舞われ、参入障壁はこれまでになく低くなっていた。特にタイは付け入る隙が大きいことも分かった」(ソムポートCEO)
政府が11年に導入した自動車の購入支援制度の後押しを受け、タイは12年と13年の2年間で生産台数を大きく伸ばした。13年には250万台近く(輸出分を含む)に到達している。だがその反動は大きく、制度の効果が一巡した14年以降の生産台数は急落。今も13年の水準を回復できていない。過剰設備に頭を悩ませる自動車関連企業は、部品の新規供給先を欲し、「我々のような門外漢の新参者にも取り引きの門戸が開かれ、部品の供給を受けられるようになった」(ソムポートCEO)。
タイは20年以上に渡って東南アジア最大の自動車生産国の地位を保ち続けているため、自動車開発に精通した現地のエンジニアも多く育っている。だぶついていたエンジニアと部品のサプライチェーンの双方を活用できる道が拓かれた。EVを自社開発できれば、自社のリチウムイオン電池の性能を広く他の自動車メーカーに認知させられる。電池メーカーであると同時に完成車メーカーである相乗効果が引き出せると読む。
投資はかさむが「EAは創業以来、限られた資本で大規模な太陽光発電所や風力発電所を開発、運営してきた。その経験やノウハウが活かせる。重要なのはステップ・バイ・ステップで事業を進めていくことだ」と最高財務責任者(CFO)のアモン・サトウィクーン氏は話す。
押し寄せる競合、ローカル戦略で対抗
タイで走るEVはまだわずかだが、市場拡大を見越して近年ではEV投入の動きが相次ぐ。たとえば日産は昨年「リーフ」をタイに投入した。今年6月には中国の上海汽車集団とタイの大手財閥チャロン・ポカパン(CP)の合弁会社SAICモーター・CPがMGブランドの「ZS EV」の販売を開始している。
リーフの価格は199万バーツ(約698万円)と、「一般のタイ人消費者には高すぎて手が届きにくい」(日産タイ法人の販売担当者)。他方、ZS EVは119万バーツ(約417万円)と比較的低価格で、EAのマインSPA1の販売価格(120万バーツ)もわずかながら下回る。
ただソムポートCEOは「ZS EVが我々の競合になることはない」と意に介さない。知名度やブランド力で劣るEAは、当初から一般消費者向けでなくタクシー業界での採用を目指して動いてきたからだ。商用車向けならばブランド力よりも経済性が重視される。マインSPA1は「競合に比べて短時間で充電できる」のが最大の強みで、競争が激しいタクシー業界に適した作りになっているという。一方、小型のZS EVはタイの規制ではタクシーとして用いることはできないという。
もう一つの強みは充電設備だ。地場の再生エネルギー企業としての強みを活かし、タイ首都圏に1000カ所の充電設備を年内にも設置する。一般道では5キロメートル、高速道路では50キロメートルごとに充電できる体制になるという。
小粒な新参者であるEAは、タイのサプライチェーンを活用し、タイの市場に合わせたEVとそのインフラを開発している。徹底したローカル戦略で、世界の巨人と直接対峙することを避けつつ存在感を発揮しようと目論んでいる。
その計画はまだ絵に書いた餅に見える。ローカル戦略にしても、大手メーカーがタイ市場攻略に本腰を入れれば容易に吹き飛んでしまうかもしれない。ただEAを一代で再生可能エネルギーの大手に育てたソムポーンCEOの経営手腕には定評があり、EVにかける熱量も高い。「タイ発自動車メーカーという夢は、いずれ誰かがチャレンジするべきもの。その一歩を我々が踏み出す」という熱意が、EAをアジアを代表するEVメーカーに押し上げる可能性はありそうだ。
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