- ●鎌倉時代が進むにつれ商品・貨幣経済が拡大
- ●商業に立脚する新しい武士「悪党」が登場
- ●足利尊氏は悪党も取り込み幕府を開いた
- 01 土地は誰のもの?~天武・持統天皇
- 02 源平合戦と同じく大事な土地政策~源頼朝
- 03 室町幕府が京都を選んだ理由~足利尊氏
- 04 和同開珎は通貨ではなかった?~平清盛
- 05 基幹航路は日本海と瀬戸内海~上杉謙信
- 06 特産品で国を富ませる~戦国大名の政策
- 07 古代の土地制度をぶち壊す~織田信長
- (08以降に続く)
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今回は土地経済の日本史の「その3」。キーパーソンは足利尊氏だ。

第2回では、関東で武士の政権を打ち立てた源頼朝を取り上げた。彼に先んじる存在として平清盛がいた。清盛は朝廷の中で勢力を拡張した。この平家政権は商品流通を重視した。清盛は九州・太宰府を拠点にし、中国大陸や朝鮮半島との貿易を推し進めた。日宋貿易だ。
様々な商品が日本に入り、日本の経済を潤す商品経済は、平安末期の武士たちが受け入れるには時期尚早だった。この時期の武士たちにとって重要だったのは、「こんな楽しいものが手に入るよ」ということよりも、自分の土地を守ることだった。それゆえ平家は、「自分を主人と仰ぐならば、お前の土地は必ず守ってやる」という源頼朝のアピールに打ち勝つことができなかった。
しかし、鎌倉時代が進むにつれて、“動産の逆襲”が起こった。
貨幣が流通し、自らが作り出す農産物以外のものも手に入れることができるようになるにつれ、武士たちは自ら作り出す農産物だけでは満足できなくなっていった。所有欲が拡大したのだ。
これに対し、鎌倉幕府が重視していたのは不動産をめぐる諸々の政策。武士たちのニーズを満たすことができなくなっていった。
一方、当時の商品流通の中心は京都をはじめとする近畿地方。ここでは、農作業ではなく商取引に立脚する新しいタイプの武士が登場し始めた。鎌倉幕府は彼らを「悪党」と呼んだ。その代表が楠木正成だ。
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東京大学史料編纂所教授

1960年生まれ。東京大学・同大学院で日本中世史を学ぶ。専門は中世政治史。史料編纂所で古代資料部門を担当する。著書に『考える日本史』『承久の乱 日本のターニングポイント』など。
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