- ●自らの土地を「自力救済」と「寄進」で守る
- ●「職(しき)の体系」とはどのようなものか?
- ●源頼朝は「下司」の代弁者
- 01 土地は誰のもの?~天武・持統天皇
- 02 源平合戦と同じく大事な土地政策~源頼朝
- 03 室町幕府が京都を選んだ理由~足利尊氏
- 04 和同開珎は通貨ではなかった?~平清盛
- 05 基幹航路は日本海と瀬戸内海~上杉謙信
- 06 特産品で国を富ませる~戦国大名の政策
- (07以降に続く)
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今回は土地経済の日本史「その2」。キーパーソンは源頼朝だ。
第1回でお話ししたように、古代日本において土地の私有は認められていなかった。人々が土地を開墾しても、国衙(今日の県庁に相当)がその土地を奪いに来た。そのため人々は自分の土地を自分で守らざるを得なかった。これを「自力救済」という。
土地を守るもう一つの方法は「偉い人にすがる」こと。国司より上位にある都の貴族もしくは寺社にすがって、土地の所有について目こぼししてくれるよう依頼した。

ただし、貴族・神社の力も絶対ではない。土地を寄進された貴族は“保険”として、さらに上位の貴族に土地を寄進した。最上位に位置したのは皇室、摂関家(藤原本家)だ。
こうした寄進をするにあたっては、保護の代償として収穫する米の一部を用いた。
こうした土地の権利構造を「職の体系」と呼ぶ。
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東京大学史料編纂所教授

1960年生まれ。東京大学・同大学院で日本中世史を学ぶ。専門は中世政治史。史料編纂所で古代資料部門を担当する。著書に『考える日本史』『承久の乱 日本のターニングポイント』など。
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