- 01 常に傍流を歩いてきた
- 02 自分の意見に同意されると不安に
- 03 「わからない」ことだらけだった
- 04 “Self Confidence”こそ大切だ
- 05 肩書で仕事をするな、人格でしろ
- 06 「感動」をビジョンに掲げたワケ
- 07 妥協しないモノ作りを取り戻す
- 08 「トップのこだわり」で現場を鼓舞
- 09 エレキは復活できると確信していた
- 10 “オートパイロット”にはならない
- 11 リーダーに必要な発信力の磨き方
- 12 もっと「日本」をアピールしよう
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■シリーズ予告■
日経ビジネスの雑誌連載「経営教室『反骨のリーダー』」との連動企画。逆境に挑み、新たな時代を作り上げるリーダーたちが、独自の経営哲学を自ら語る。今回は、デジタル化の波にもまれ苦境に陥っていたソニーを復活させた平井一夫会長。改革の背景にある経営哲学・そして手法はどのようなものだったのか。
平井氏は、物心ついた頃から常に、「傍流」を歩んできた。小学生の頃に父親の転勤で米ニューヨークに移住。英語を話せるわけもなく、しかも戦後20年ほどだった当時は日本人への差別も厳しく、否応なく、自らの居場所を自力で見い出していく術を身に付けていく。
米国生活に慣れたころには日本に帰国。背が高く、既に“英語なまり”の日本語を話すようになっていた平井氏は、友人や教師から「アメリカ人」とからかわれる。
その後も、米国やカナダと日本を行き来して育った平井氏は、異なる文化、多様な価値観と常に向き合ってきた。そして、社会人として音楽会社CBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)に入社し、エレクトロニクス事業を中核したソニーの“傍流”からビジネスパーソンとしてのキャリアをスタートした。
この生い立ちとキャリアで身に付いた平井氏のグローバルな価値観が、苦境に陥っていたソニーを復活に導くことになる。
平井氏が直接、次世代を担うビジネスパーソンに経営哲学を熱く語りかける。
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>>雑誌に掲載した経営教室
ソニー 取締役 会長

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