家族は、父が物心ついたときから、「おまえは中学を卒業したら、栄一おじさんの子になるんだよ」と話していた。成長してから切り出すのでは、本人が嫌がるかもしれない、早くからそう言い聞かせたほうが父のためだと、気遣ったのだろう。

 父は特に反発することもなく、自分の運命を受け入れていた。
 それにしても、実母の喜美子は、どんな思いだっただろう。栄一が、父を可愛がる様子をどんな気持ちで見ていたのだろうか。

末っ子の経営者

 喜美子がどんな思いで父を育てたのか。父はそれにどう応えたのか。なぜ、父は反発することなく、素直に運命を受け入れたのか。

 私はそうしたことについて、父に直接尋ねたことはない。ただ、ある人から父が生前、こう話していたと聞いた。

 「ビジネスというものを大きく考えれば、絶対に人間愛ですよ。だって、経営理念というのは、愛そのものだから。

 ビジネスは、それぞれの仕事を通じて、人の役に立たなければ繁栄しない。新しいものを作るとか、すごい技術を開発するとか、そういうものは結局、人間社会に役立つものです。だから、人間社会に役立ちたいという理念が大切であり、そこから外れてしまうと、会社は長続きしない。時代ごとにニーズは変わるけれど、ビジネスの根底は全部そこにある。技術があっても、理念がなければ無理です。社会が潰しますよね。そして、この理念はどこから来るかというと、やはり人間愛なんですよ。

 だから、創業者で成功した人には、末っ子が多い。松下幸之助さんもそうでしょ。幸之助さんは、男3人女5人の8人兄弟の末っ子です。

 調べてみると、他にも結構多いんです。末っ子は母親が可愛がるじゃないですか。母親の愛情を受け継ぐんだろうね。その愛から、経営理念というものが、だんだん出てくるんじゃないですかね」

 父は、名だたる経営者が何番目の兄弟であるかを、ひそかに調べていた。そして、自分と同じ末っ子の経営者が多いと知って、とても共感したのだろう。

 とりわけ父は、松下幸之助に傾倒していた。
 家の書棚には幸之助の著書が数多く並んでいた。

 幸之助が京都に建てた別邸で、現在はパナソニックの迎賓館になっている「松下真々庵」にも父は二度、足を運んだ。大阪府門真市にある「パナソニックミュージアム 松下幸之助歴史館」にも立ち寄っている。

 幸之助の家は、父親が事業に失敗して貧しく、9歳のときに尋常小学校を4年で中退し、和歌山から大阪の火鉢店に丁稚奉公に出た。母親は末っ子の幸之助を見送るとき、涙を流したという。居合わせた列車の乗客に頭を下げて回り、大阪までの道中、困っていれば助けてやってほしいと頼んだ。

 9歳で母親と別れるというのは、筆舌に尽くしがたいほどのつらさだろう。いったん奉公に出れば、簡単には家には戻れない。これが今生の別れとなるかもしれないという思いも、あったかもしれない。