看護師さんも大変である。
 「……あの、三森さん、お体でどこか痛いところがあったら、『痛い』と正直に言ってくれないと、困るんですよ」

 そう懇願されても、父は「イッツ・オッケー!」で、ほとんど通していた。
 海外には頻繁に行っていた父だが、英語はからきし駄目だった。それなのに「イッツ・オッケー!」だから、私と母はいつも病室で笑っていた。

 父はプラス思考のかたまりだった。
 私が幼い頃、こんな話をしてくれた。

 「いいか、智仁。言葉は言霊(ことだま)と言って、魂を持っているんだ。プラスの言葉を発すると、その通りになる。逆にマイナスの言葉を発すると、現実も悪くなる。だから、どんなに苦しいときでも、プラスの言葉を口にしなさい」

 父は、政財界に多くの信奉者を持つ昭和の思想家、中村天風(てんぷう)に私淑していた。その教えは「絶対積極」という言葉に収れんされる。人生において、常に前向きな心を把は持じすることの重要性を唱えたものだ。

 父が自宅の洗面所で、鏡に映る自分に向かって、よく叫んでいた姿を覚えている。

 「俺は強い!」
 「俺には必ずできる!」

 父は男3人兄弟の末っ子だが、昔から兄貴肌だったという。

 ただ、根っこの部分は繊細で、神経質な一面があった。本当は弱音を吐きたい。しかし、それでは経営者は務まらない。鏡に映る自分に向かって「俺は強い!」と叫ぶのは、弱い自分を克服するために、一種の自己暗示をかけていたのだ。

 プラスの言葉を発していれば、必ず現実がその通りになる。それは父の信念のようなものであり、がんに侵されてからも貫いた。

血のついたワイシャツ

 抗がん剤の治療がないときは外泊許可をもらい、病を押して出社した。

 トップが深刻な病に侵されていることが社内に知れ渡ると、社員に動揺を与えてしまう。フランチャイズ加盟店や取引先にも、生きる望みがある限り、黙っておきたい。

 父の病状は、窪田社長と専務、秘書、そして私の4人の極秘事項とした。幸いというか、がんが発覚する前の父は海外出張が多く、不在がちだった。父が会社に姿を見せなくても、違和感を持つ社員は皆無だったと思う。

 父はできる限り、それまで通りに仕事を続けた。死の2カ月前まで、這いつくばるようにして海外出張にも出かけた。

 いや、正確に言えば、入院中ですら会社に行こうとした。私たちが止めなければ、間違いなく出社していたはずだ。なぜそう断言できるかというと、入院中の父は朝早く起きると、スーツに着替えていたからだ。