父は2012年に会長に退くと、窪田社長に国内事業を任せ、自身は海外に目を向けていた。和食を世界に広めるため、2005年のタイ出店を皮切りに、アジア市場を先頭に立って開拓。会長就任後は米国事業に心血を注いだ。

 米国の大戸屋は1号店、2号店と軌道に乗り、「天婦羅まつ井」という新業態のオープンを控えていた。「さあ、この新店を成功させ、一気に米国各地での展開へ」というまさにそのとき、余命1カ月の宣告を受けたのである。

 父は2014年に入ったあたりから、胸の奥からむせ返るような咳を続けていた。後から振り返ってみれば、風邪とは症状が違っていた。

 私たちが、早くに精密検査を受けさせていればよかった。父も、仕事を優先して病院に行かなかった。当時はニューヨークでの開店準備に追われ、ひと月に4、5日しか、日本にいないという状況だった。

 それにしても、余命1カ月という宣告は非情すぎる。

 告知の瞬間、父は無言で病室の天井を見上げていた。傍らにたたずむ私たちも誰一人、言葉を発することができなかった。

 本人は相当なショックを受けたはずだ。父に病名を隠すという選択もできたかもしれないが、父は前もって担当医に頼んでいたという。

 「先生、私は上場企業の経営者という公的な立場の人間です。ですから、どんな病名であっても、包み隠すことなく、すべてをありのまま教えてください。そうでなければ、引き継ぎの準備などに支障を来しますから」

 経営者というのは、酷な仕事だと思う。運命から顔をそむけることは許されず、敢然と向き合わなければならないのだ。

 主治医が病状説明を終え、沈んだ表情で静かに病室を出ると、父が口を開いた。

 「みんな心配するな。絶対に治る。医学は進歩しているんだ。それに、うちの兄貴(教雄)はスーパードクターだぜ。兄貴の病院に入院しているんだから、治るよ」

イッツ・オッケー

 父の闘いが始まった。
 1カ月はあまりに短い。普通なら、自暴自棄になってもおかしくないと思う。

 しかし父は、身内の人間にも会社の人間にも、ネガティブな発言は一切しなかった。抗がん剤を投与され、いかにも苦しそうな表情を顔に浮かべているときでも、「体が痛い」とか「もう嫌だ」とか、そんな泣き言は一切口にしなかった。

 見舞いに行った私が「体調はどうだい」と尋ねると、いつも返事は決まっていた。

 「イッツ・オッケー!」

 野太い声で、病室に響き渡るように言う。
 その日の担当看護師さんが具合を尋ねても、同じ。

 「イッツ・オッケー!」