居酒屋運営、楽コーポレーション(東京・世田谷)の宇野隆史社長の下には、一国一城の主になりたい若者が次々に集まる。店に入ったばかりの若者たちから、居酒屋のオレたちは学ぶべきことがたくさんあると、宇野氏は語る。
どんな仕事でも、新人はまず先輩たちに仕事のやり方を学ぶ。何年もたって「一人前」にならなければ、任せてもらえないことも多いだろう。
でも、オレたち居酒屋は、店に入ってきたばかりの何もできない新人からも「学ぶこと」がすごくある。だってさ。料亭のように何年も修行しなきゃお客さんの前に立たせないなんて余裕はないから、入ってすぐの新人でも料理ができるように考えなきゃいけない。これを考えることが、オレたち自身の糧になるんだよね。
写真のようなブツ切りの刺し身なら、入ってすぐの新人でもすぐ魅力的な料理として出せると、宇野氏(写真:高橋久雄)
例えば、アジのたたきだって店で数年働いているヤツと同じように、入ってすぐの新人もお客さんを喜ばせる料理として出せるようにしなくちゃいけない。もちろん、何年も厨房に立っているヤツと同じようにはできないから、どうやれば3日目の新人でもお客さんに「おいしい!」って言ってもらえる料理を出せるかって、先輩たちは頭を悩ませる。
アジのたたきってのは、たたいて細かく切ったアジの刺し身にネギなどの薬味をあえたもの。新人がオーダーを受けてから作るんじゃ時間がかかり過ぎるから、あらかじめある程度作っておいて、水に漬けておいた刻みミョウガだけをお客さんに出す直前にあえる。こうすると、すごくいい食感が加わって、お客さんに喜んでもらえる。
料理の味だけじゃなくてさ。お客さんの前でさっと薬味をあえる動作は、格好いいでしょ。刺し身がきれいに切れるようになるには時間がかかるけど、薬味をあえる動作なら、新人でもちょっと練習をすればすぐにお客さんの前でできるようになる。料理だけではなく、動作で「おいしさ」を伝えることができるってわけだ。
そういう風に、「できないヤツをどれだけ戦力にするか」と考えることが、オレたちにはものすごく重要だ。それは、店の子たちが独立した時の武器にもなる。うちの店で働いているときには大勢の助けがあるけど、独立したら自分1人。料理も接客も、今までとは同じにはできなくなるから、「できない新人」のために働かせていた頭が、役に立つんだよね。
一人前になっても忘れてはいけないこと
独立して店を出すために、最近うちを出た子がいるんだけどね。その子も、何もできないので有名な子でさ。うちが以前、カナダのバンクーバーに店を構えていたときに現地で応募してきたんだけど、まず履歴書がひどくてさ。後で分かったんだけど、そいつはバンクーバーで同年代の日本人の子と一緒に住んでいたのね。それで、一緒に住んでいる子の履歴書を名前だけ変えて持ってきたの。同居していたのは、大学で英語を勉強している学生でさ。英語テストのTOEFLが何点とか書いてあるわけ。
何もできなくたっていいけど英語を話せる接客スタッフが欲しかったから、「いいね、いいね」って採用してホールを任せたら、これが全然しゃべれない。「え? どうして?」って聞いたら、そんなことが判明してね。なんで、そうまでしてうちに来たかったのかを聞いたら、「まかないで、和食を食べて、味噌汁が飲みたかったんです」って言うの。めちゃくちゃでしょ(笑)。元々、漁師をやっていたというから、魚がさばけるのかといったら、これもできない。やってたのはシラス漁なんだよ。面白いよね。
楽コーポレーションが、以前出していたバンクーバー店の店内。居酒屋という業態が欧米でまだ知られていなかった頃に出店、繁盛店となった
そんなヤツなんだけど、ものすごく周りに愛される子でね。送別会でも、「あんなに何もできなくて愛されたヤツはいない」って、みんなが口々に言うぐらい。とにかく笑顔がいい子でさ。入ってきたときは、「とにかく笑ってろ」と教えて、一生懸命、お客さんを満面の笑顔で迎えていた。居酒屋ってさ、そういうことが大事なんだよね。だって、ものすごくおいしい料理を出してくれても店主がいつもしかめっ面している店と、いつも気持ちいい笑顔で迎えてくれて心が晴れ晴れとするような店があったら、すばらしいというような料理じゃなくたって、笑顔がある店に行きたいよね。
実はその子もさ。独立するちょっと前に働いている店に行ったら、すっかり笑顔が消えていてさ。自分より経験の浅いスタッフに命令ばかりしているの。だから、「おまえは命令しているより、笑っている方がいいぞ。大事なこと忘れてない?」って話してね。そうしたら、2、3日してオレのところに来て、「この前は、何を指摘されたのかよく分からなかったけど、思い出しました。前は自分に何もなかったからとりあえず笑っていたけど、今はできるつもりになっちゃって、笑顔を忘れていました」ってね。
スタッフの似顔絵と名前を書いた旧バンクーバー店内の一角。お客とスタッフの距離を縮めるためのちょっとしたアイデアだ
世界のどこでも「楽しい店」で勝負
そんな、めちゃめちゃで何もできない素敵な子が応募してくるのを期待しているわけじゃないけど(笑)、今度、米カリフォルニアのサンタモニカに店を出すことを決めた。目抜き通りからちょっと外れた、うちらしい場所にたまたま物件が出てね。
西海岸は知り合いも店を出しているから、以前からよく色々な日本食店を見て回っていたんだけど、日本とは全く違って面白い。ラーメン店でも、店の中央に大きなバーがあって、それを囲むように席が置かれていたりする。お酒を飲む人は飲む人、食べる人は食べる人で席が分かれているんだよね。サンタモニカの店は、バンクーバー育ちの息子たちに任せると決めているんだけど、どんな店になるのか楽しみだ。
旧バンクーバー店内。サンタモニカ店は50坪と広いので、「バーを別に設けるなどお酒の売り方を考えたい」と宇野氏
20年ほど前、バンクーバーで店を出したときは「居酒屋」ってものがまだ現地の人になじみがなかった。店を始めた頃は、「寿司やすき焼きはない」と言うと、お客さんが帰っちゃったりした。欧米の人が考える日本食とオレたちがイメージする居酒屋料理にギャップがあったんだよね。年間訪日客が3000万人近い今では、アメリカ人の日本食に対するイメージも随分変わったと思うけど、やっぱり向こうの店を見ていると、昔から人気のあるテリヤキとかロール寿司とかがすごく売れている。視察もしながら、今、アメリカのお客さんはどんな日本食を求めているのか。それはちゃんと考えないとね、と息子たちと話している。
一つだけ決まっているのはオープンキッチンにすること。それで、お客さんの目の前で調理して、接客して楽しませる。それが万国共通でお客さんに喜んでもらえる店にする、一番の方法だとオレは思うんだよね。
(構成:大塚千春、編集:日経トップリーダー)
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