海外ブランドによる日本法人設立の動きは、売り上げ減だけで済まなかった。社員の引き抜きが相次いだのだ。「日本法人を立ち上げるとき、それまで商品を売ってくれていた代理店の社員を引き抜けば、百貨店などの顧客との関係も出来上がっているので、手っ取り早い。この業界ではよくあること」と、前述の取引先は話す。

 当然、力のある社員ほど引き抜かれる確率は高い。それがさらに平和堂貿易の体力を奪った。

財務改善に注力するも

 その渦中の1998年、創業者の吉田氏を継いで、1992年から2代目社長を務めていた息子の吉田伸二郎氏(仮名)が退任するという騒動が勃発した。「経営方針などの対立により、伸二郎氏は海外有名宝飾ブランドの日本法人トップに移った」(関係者)。何とも皮肉な展開だ。

 そして2002年に、伸二郎氏の姉の木本さおり氏が社長に就任。木本社長は保有不動産などを整理して、財務体質の改革に着手した。改革に目途をつけたのは2010年。しかし、その時点では以前にも増して高額宝飾品市場が縮小しており、再スタートを切るには遅きに失した感があった。

 先の同社幹部はこう語る。

「百貨店頼みでは駄目だと分かっていても、ではどうすればいいのかというと分からない。百貨店関連の顧客を一回りすれば1000万円売れるというのが、うちの営業スタイル。低価格品に乗り出すという道もあったかもしれないが、自分たちのスタイルを崩すことはできなかった」

 全く手をこまぬいていたわけではなく、インターネット販売を試験的に始めたこともある。しかし、ネットの価格競争にはついていけず、本格的には乗り出さなかった。また、従来はBtoBの商売だったが、BtoCの可能性を模索し、百貨店内に直営店も出したが、収益にはあまり貢献しなかった。

平和堂貿易の業績推移
平和堂貿易の業績推移
(東京商工リサーチ調べ)
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