では、そのために今、何をすべきか。その手がかりも、ドラッカーの問いにあった。

 「自らの事業は何か」

 乾物メーカーという答えでは浅い。乾物製造の本質とは何か、なかでも真田を特徴づけるものとは……。

 深く突き詰めると、自社が手掛けるのは「良き生産者なしに成り立たない事業」だという結論に至った。

 江戸時代は米問屋を営んでいた真田家。その後、取り扱う商品こそ変化したが、「生産者を大事にする」方針を貫いてきた。メーカーへの転身が消費者に支持されたのも、良い原材料を確保できたからだ。

 そう考えると、2期連続減収の原因も見えてきた。

売り上げ至上主義の綻び

 乾物市場全体は、日本人の食生活の変化に伴い、縮小傾向にあった。そんななかで、増収のプレッシャーを感じた現場が無理をしていたのだ。

 例えば、個別のスーパーに合わせた専用商品が増えていた。1社がまとめ買いするので、1件の成約で大きな売上が取れる半面、価格への要求はシビア。品質が軽視されやすい。さらに契約が打ち切られたときの反動が大きい。このような「売り上げ至上主義の綻び」が、減収につながっていたのだった。

 「今こそ原点回帰。そして我々の原点とは、良き生産者との協業による品質重視の商品づくりだ」

 こう考えた千奈美専務は、全国各地の生産者の情報収集に励んだ。

 折しも、政府主導で「農商工連携」が押し進められていたころ。多くの意欲的な生産者に出会うことができた。

 例えば、取引先から紹介された京都府与謝野町の契約栽培農家。有機肥料を使った特別栽培農法で、赤唐辛子やごまを育てている。これらを原料にした製品を山城屋ブランドで売り出したところ、好評を博した。その後も、京都産の聖護院大根を乾物にした商品や、明石海峡で採れる天然もののわかめなど、次々にヒットが生まれた。

 しかも、これらの原料は生産量が限られ、全量買い取りが原則だ。他社が参入する余地が狭く、利益率は高い。

 それと同時に、自社のブランドにそぐわないと判断した商品の取り扱いを、次々にやめた。その結果、約300アイテムあった商品が、一気に約200アイテムまで減った。