そんな千奈美専務に転機が訪れたのは08年。

 折しも真田は、06年から2期連続の減収に陥っていた。それまで25年間、右肩上がりで伸び続けていたのに……。当時はまったく理由が分からなかった。

 だが、打開策として、千奈美専務にはひらめくものがあった。

 本社を移転してはどうか。

 当時の真田には3つの大きなヒット商品があった。「京いりごま」に加え、「京きな粉」、そして副菜の材料になる乾物と調味料をセットにした「京のおばんざい」シリーズ。いずれも商品名に「京」を冠している。

 しかし、本社工場は大阪府守口市にあった。

そうだ、京都へ行こう!

 「本社移転で、名実ともに京都ブランドになろう」。この妻の提案に真田社長が乗り、早速、京都府内に土地を手当てした。

 だが、拠点を移すだけで簡単にブランドをつくれるわけがない。

 そう悩んでいたとき、千奈美専務はたまたま電車で、立命館大学のMBA(経営学修士)コースの広告を目にする。「経営を一から学び直してみよう」。そう考えて08年春、入学した。

 そこでドラッカーと親交が深かった上田惇生氏の授業を受けた。その最初の授業で投げかけられたドラッカーの問いが人生を変えた。

 「何によって憶えられたいか」

千奈美専務(右)と恩師の上田惇生氏

 自分の生きる意味をあらためて考えた。嫁ぎ先の真田は、山城屋として創業して 104年になる。その歴史は、多くの先人たちに支えられてきた。その一人に自分も名を連ねたい――。

 「自分の役割は、100年企業の山城屋を1000年永続する企業に育てること。その礎をつくった者として後世に憶えられたい」