本連載では、ドラッカー教授の著作に学んで、成果をあげた日本の中小企業の物語を紹介します。

 筆者(佐藤等)は、本業の公認会計士の仕事の傍ら、2003年から、ドラッカー教授の著作の読書会を始めました。最初のころはなかなか人が集まらずに苦戦しましたが、地道に続けるうち、13年間で700回以上を開催するまでになりました。この読書会で報告を受けた実践の成功例が、この連載の骨子です。

 なかでも、読書会の初期の中核メンバーが、十勝バス(北海道帯広市)の野村文吾社長です。5年前、地方の路線バスが約40年ぶりに利用客数を増やした奇跡は、多くの経済メディアで注目を集めました。日経ビジネスオンラインの読者の皆さまならば、すでにご存知かもしれません。ただ、その背後にドラッカーに得た学びがあったことは、それほどには知られていないでしょう。第1回は、野村社長に、自らの言葉で「ドラッカー体験」を語ってもらいます。

十勝バスの野村社長(写真:吉田サトル)
十勝バスの野村社長(写真:吉田サトル)

 「イノベーション」――私が初めてドラッカー教授の著作に出合ったとき、最も心に響いた言葉です。

 十勝バスは、北海道帯広市を中心に路線バスを運営しています。

 1926年設立。90年近く地域の交通インフラを支えてきましたが、マイカーの普及や人口の減少で利用客数は69年から毎年数%ずつ減少。2000年代には、ピーク時の2割以下にまで落ち込み、厳しい経営状況が続いていました。

 しかし、11年、まさにイノベーションを起こします。約40年ぶりに利用客数を増やし、路線バスの運送収入を上昇に転じさせました。地方の路線バス事業者としては快挙でした。

コスト削減ですさむ社員

 札幌で会社員をしていた私が帯広に戻り、父が経営する十勝バスに入社したのは1998年、34歳のときでした。

 路線バス業界が衰退の一途をたどるなか、父は合理化を重ねることで、会社の生き残りを図ってきました。しかし、「それももう限界。廃業することにした」と聞かされ、「ならば自分が立て直す」と決意。勇んで、帯広に帰ってきました。

 しかし、そのころ、社員の心は荒れ果てていました。

 十勝バスでは、すでに約30年続いていた営業収入の減少を補うため、人員削減こそしなかったものの、給与や賞与のカットによる人件費の削減を続けていました(下図)。そのため、社員の間には不満が渦巻き、いさかいが絶えませんでした。私もまだ若く、ささいなことで社員と言い争っては実力行使。物を投げ合い、机をひっくり返すような騒ぎを繰り返しました。

売り上げ半減を人件費削減でしのいでいた
売り上げ半減を人件費削減でしのいでいた
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