自分だけ幸せになろうとする人間

 家族というのも、そもそもは動物が過酷な自然環境の中で生き残るための1つの共同体、ユニットでした。時代の移り変わりとともに、その形態は変わってきたはずです。人間だってこういう一夫一婦になったのはほんの数千年、数百年前の話です。今だって場所によってはハーレム型のところなど、一部ありますからね。

 しかし、どの動物もそうなんですけど、基本的には生まれた子供の生存確率を高めるために、共同体や社会が作られるものなんです。大人のために作っているんじゃないんですね。まず子供の生存率をいかに高めるかが前提にあって、その上にいろんな社会、いろんな生き方が構築される。これが本来あるべき社会の姿です。だって、自分だけ生きて、自分だけ幸せになろうとして、命がつながらなかったら、その生物は絶滅してしまうでしょう。

でも、今生きている世代にとっては、後に自分の子孫が残ろうが残るまいが、何も関係ないのでは?

坂東:そういう風に思うようになってしまったのが問題なのです。繁殖というのはもう絶対、生き物の基本です。食うか食われるかの環境の中で次世代をどう育んでいくか、次世代にどうバトンタッチしていくかを、ずっと動物たちは考えています。命とか、生きることって、そういうものなんじゃないでしょうか。人間だって、昭和のはじめまで子だくさんだったでしょう。昔はたくさん死ぬから、たくさん産んだのです。

 しかし、現代社会はどんどん「自分」が強くなってしまっている。自分が良ければそれでいいという社会になってしまっています。社会全体で次世代を育てよう、守ろうという感覚がなくなってきてしまっています。

 私は田舎育ちだったのですが、年に1~2回、母親に連れられて都会のデパートに行くことがありました。私も母親もたまにしか行かないからか、はしゃいでしまうのでしょうね。よく迷子になりました。でも、必ず誰かが迷子センターに連れていってくれて、一方の母親は全部買い物を済ませてから迎えにくる(笑)。大人がいるところで無防備な子供が迷子になっても、大人がいるはずだから安心だ。必ず安全な場所に運ばれていく、という感覚がかつてはあったのです。

 しかし今はどうでしょう。園内でちっちゃな子どもたちに「こんにちは」と声をかけると、結構びくっとする子が多いのです。知らない人に声をかけられたら返事をしちゃいけないと教えられているからです。今の小学校では登下校時、名前が分からないよう名札を裏返すところも多いと聞きます。もう、異常ですね。だって、同じ社会を構成しているほかの仲間を信用していない証じゃないですか。そういう社会の大前提の中で、今の子供たちは育てられているんです。