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“秘伝のたれ”の囲い込みやめる

 これはサッカー界で進む知のオープン化の一断面に過ぎない。

 UEFA(欧州サッカー連盟)は欧州各国の指導者レベルのギャップを埋めるために「KISS(Knowledge and Information Sharing Scenario)」というプロジェクトを始めた。指導者を目指す人々に対して、トップクラスの指導者が自信の知識や経験を共有していく取り組みだ。

 それも、ただ教えるだけでなく、参加者が指導者や他の仲間と議論し、新しいものを生み出すことが狙いだ。「欧州ではUEFA自身がオープン化を進めている」。スコットランドの大学院留学中から戦術分析を各紙に寄稿している結城康平氏は語る。

 それまで各クラブの監督やコーチは自分のアイデアやトレーニングメソッド、そこから派生する戦術を表に出そうとはしなかった。いわば、それぞれのクラブや人間が囲い込んでいた“秘伝のたれ”だ。その風向きが変わったのは、グアルディオラ氏がFCバルセロナの監督になった2008年以降である。

 グアルディオラ監督が率いるバルセロナは圧倒的なボール支配率を高めるポゼッションサッカーで革命を起こした。メッシの「ゼロトップ」(1トップが中盤まで下がり、中盤で数的優位を生み出すこと)やサイドバックが中央のスペースに流れて組み立てに参加する「偽SB」など、その後のブンデスリーガ・バイエルン監督時代も含め、新しい戦術を次々に編み出した。

 「ペップ(・グアルディオラ監督)の戦術を読み解こうというムーブメントの中で、様々な人間が情報をシェアし、共同作業するという機運が生まれた」と結城氏は語る。その背景には、もちろん2000年代後半以降のSNSの爆発的な普及や映像解析コストの低下もある。

 こういった動きは新しいタイプの指導者を生み出した。

 オーストリアのFCレッドブル・ザルツブルクのアシスタントコーチ、レネ・マリッチ氏。彼は戦術分析ブログに記事を書くブロガーからUEFAヨーロッパリーグでベスト4になったザルツブルクのコーチに栄転した。彼が書く記事が、当時、ブンデスリーガ・マインツを率いていたトーマス・トゥヘル氏(現パリサンジェルマン監督)の目に留まり、抜擢されたのだ。

「戦術カメラ」の映像をサッカーコミュニティに公開

 当時25歳。選手としての実績もないマリッチ氏のシンデレラストーリーはサッカー界で驚きを持って迎えられた。だが、マリッチ氏の成功の背後にあったのは、彼の知的好奇心や努力に加えて、インターネット上で共有される数多のナレッジやテクノロジーの進化である。

 アマチュアチームのコーチからイタリア・セリエAのコーチに転身したエミリオ・デ・レオ氏も同様だ。