エアビーアンドビーの本社。ほかのテック企業同様、社員の働きやすさにも配慮している(写真:Carlos Chavarria/Redux/アフロ)
日経ビジネスは1月7日号で「会社とは何か」という特集を組んだ。これまで大企業に所属する利点は規模や信用力、コストにあると考えられてきた。だが、テクノロジーの進化や様々なツールの登場によって起業のハードルは下がり、個人でも多くのことができるようになった。会社を取り巻く環境が変わる中で、会社そのものの役割も変わりつつある。
今の学生が2030年にやる仕事の85%はまだ存在しない
特集では様々な角度から変化を論じているが、その中にAI(人工知能)と仕事という切り口がある。今後、AIが既存の仕事を人間から奪っていくことは確実だ。これからの変化は産業革命を含め、人類が過去に経験した中で最も早いものになる可能性がある。AIは仕事を奪う以上に新しい仕事を生み出していくが、仕事を奪われた人間を新しく生み出される仕事にどう適応させていくか。それは大きな課題になるだろう。
AIが生み出す仕事がどんなものなのか。その大半はまだ見えていない。Institute for the future(IFTF)によれば、今の学生が2030年にやるであろう仕事の85%は存在しないという(当該レポートのリンクはこちら。)
しかも、急速なテクノロジーの進化によって、AIが仕事を作り、また破壊していくサイクルはどんどん短くなっていく。
「2050年までにUseless Class(使い物にならない階級)が現れるかもしれない。仕事不足や職業訓練の不足だけでなく、スキルを学び続ける人々の精神的なスタミナがなくなっていくことが一因だ」。イスラエル・ヘブライ大学の歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ教授は米国の雑誌「The Atlantic」への寄稿でこう指摘する。
新しく生まれる仕事に対応するため自分自身を再教育する必要があるが、それが一度ではなく何度も必要になる。その状況が続くにつれて、学ぶこと自体をあきらめていく。
グローバリズムによって米国の雇用は大打撃を受けた。それがトランプ大統領の誕生につながったのは記憶に新しい。今の20世紀の教育システムや職業訓練システムで対応するのは難しいだろう。
再教育を誰が担うのかという点には様々な意見がある。ただ、民間企業の取り組みとしてヒントになりそうなものもある。部屋を借りたい人と貸したい人をつなぐ民泊仲介の米エアビーアンドビー(エアビー)だ。同社では日々の業務をどのようにAIに置き換えているのか。そのために社員にどのような教育プログラムを提供しているのか。それらを見ていくことで、今後、必要になる取り組みの一端が見えるかもしれない。
2008年にエアビーが創業して以来、空いている部屋を貸し借りするシェアリングモデルは急速に普及した。今では世界191カ国・地域で500万以上の部屋がエアビーに登録されている。
急成長する民泊仲介の米エアビーアンドビーのウェブサイト。同社はAIの活用と社員の教育を並行して進めている
家賃の支払いに困った創業者のブライアン・チェスキーCEO(最高経営責任者)とジョー・ゲビアCPO(最高プロダクト責任者)が国際デザインカンファレンスの際に自宅アパートのロフトを貸し出したという創業の経緯は広く知られている。その後、紆余曲折があったが、スタートアップ養成の“虎の穴”として知られるYコンビネーターに潜り込み、成功のきっかけをつかんだ。今では310億ドルの企業価値が付く屈指のユニコーン企業(企業価値10億ドル以上のスタートアップ企業を指す言葉)である。
実は、エアビーはシリコンバレーのテック企業の中でも、特にデータやAIを積極的に活用していることで知られている。同社のデータサイエンスチームには160人のデータサイエンティストが所属しており、ビジネスの最適化や自動化のため、日々の業務の様々なところにデータとアルゴリズムを活用している。
例えば、貸し主向け広告だ。
空き部屋をユーザーに貸すというビジネスモデルのエアビーにとって、貸し主を増やしていくことはすなわち成功の源泉である。配車サービスの米ウーバー・テクノロジーズが新規ドライバーを開拓するのと同様だ。そのため、エアビーはフェイスブックやグーグル、インスタグラムなど様々なプラットフォームに貸し主向けの広告を出している。その広告の評価や予算配分にアルゴリズムを活用しているのだ。
160人のデータサイエンティストが所属
通常、空き部屋を貸そうと思う所有者の中には様々な広告を見てエアビーのサイトに飛ぶ人も少なくない。そこでユーザーが貸し出す部屋のタイプや立地、広さ、アメニティ、貸し出し可能日数などの情報を入力していくと、エアビーで貸した場合、最終的にどのくらいの収益が得られるかというLTV(生涯価値)が分かる。エアビーはこのLTVのデータを元に、それぞれの広告プラットフォームに対する最適な入札額を算出、予算を割り当てる。
貸し主は複数の広告を見てエアビーのサイトに辿り着く場合もあるため、それぞれの広告がエアビーのサイトに辿り着くのにどれだけ貢献したかも考慮に入れる(マルチタッチ・アトリビューション)。そもそものLTVも機械学習のアルゴリズムの一つ、XGBoostを用いて予測精度を向上させている。各都市の膨大な部屋データに基づいて広告価値を算出しているということだ。
広告の入札や予算の最適化、広告キーワードの決定など広告にまつわる業務は人間の仕事だったが、エアビーではAIに置き換わり始めた。この動きは広告だけではなく、検索ランキングや宿泊費の価格設定、アカウントの乗っ取りや入金取り消しといった不正行為の検知、カスタマーエクスペリエンスの改善や従業員の給与設定など、様々な領域で起きている。
「それぞれの部署にデータサイエンティストがいるからこそ、人事からマーケティングまで様々な業務でデータやアルゴリズムを活用することが可能になっている」。データサイエンス部門のディレクター、エレナ・グリーワル氏は語る。
2012年にデータサイエンティストとしてエアビーに採用されたエレナ・グリーワル氏(写真:Tex Allen)
エアビーがデータ主導的なカルチャーになった要因は、もうひとりの創業者、ネイト・ブレチャージクCSO(最高戦略責任者)がデータに精通していたことが大きい。だが、一朝一夕にデータサイエンスチームができあがったわけではない。文字通りゼロからの立ち上げだった。
データサイエンティストとして2012年に採用されたグリーワル氏が最初に取り組んだのは必要なデータを追跡・収集する仕組みの構築だった。その後、データが集まるようになると、集まるデータを使えるデータに加工する作業が必要になり、データ・アーキテクトという職種を採用し始めた。
すると、次第にデータを解釈する専門家が必要になり、データアナリティクス・スペシャリストを探し始めた。データが意味することを効果的に伝えるビジュアル化も必要になり、BI(ビジネス・インテリジェンス)ツールなどを扱っていた人材を雇うようになった。
その後、実際の業務にデータを還元していく上で、仮説の実行とその影響を理解するためのモデルを構築する専門家が必要になり、ユーザーごとのパーソナライゼーションを実現するために機械学習の専門家が求められるようになった。このように、データ活用の深度に応じて異なるスペシャリストを採用し続けた結果、160人規模の組織に成長していった。
「私が大学の時、データサイエンスという学位はありませんでした。ただ、通っていたスタンフォード大学教育学部は定量的研究を重視する風土で、研究のためにコンピュータサイエンスや統計を学ぶ必要があったんです。それで、データサイエンスに必要な知識やスキルを身につけることができました」。そうグリーワル氏は振り返る。
1年に3万5000人がエアビーのデータサイエンス職を希望
2018年にエアビーのデータサイエンス職に申し込んだ人はおよそ3万5000人と、2015年から4倍増となった。エアビーの成長は、社内におけるデータサイエンティストの増加と比例している。
AIによって仕事が奪われるという恐怖は社会に根強く残る。実際、マッキンゼー・アンド・カンパニーはロボットの導入や自動化によって、2030年までに最大8億人の雇用が奪われると予測している。その影響は甚大だが、一方でテクノロジーの“民主化”も進んでおり、一部の専門家に限られていた最新技術が誰でも使えるようになりつつある。
例えば、米アマゾン・ドット・コムのクラウドサービス会社、アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)は2018年11月に開催したイベントで「AWS RoboMaker」という新サービスを発表した。RoboMakerはロボティクスの開発環境を簡単に構築するためのサービスだ。
物体の認識や自発的な動作などをロボットに学習させるには機械学習の知識が必要で、開発環境の整備やシミュレーション、テスト、実際のロボットへのアップロードなどを独力でやるとかなりの手間と時間がかかる。だが、RoboMakerを使えば開発やテストを迅速に始めることが可能だ。
「PCでテストして修正できるので開発時間は間違いなく短縮される」。米航空宇宙局(NASA)ジェット推進研究所でロボット開発に関わるエリック・ジョンキンス氏はそう語る。ロボットやプログラミングに関する相応の知識は必要だが、RoboMakerを使うことでAI搭載のロボットを開発するハードルは確実に下がる。
データサイエンスの領域でも同じことが起きている。シリコンバレーのスタートアップ、Exploratoryはコードを書くことなく様々なデータ分析が可能なツールを提供している。機械学習、VR/AR(仮想現実/拡張現実)、3Dプリンターなど、技術の民主化が進んでいる領域は多岐に渡る。
ハラリ教授が言うように、新たなテクノロジーに人類がどれだけキャッチアップできるのか、という問題は残るが、AI時代を生き抜くために、民主化される技術を学ぶことは不可避だ。
そして、エアビーはAIと雇用という命題に対して「Data University(データ大学)」というプログラムで対応しようとしている。Data Universityはデータサイエンティストではない“普通”の社員向けの社内講座だ。
Data Universityは3段階のレベルに分かれている。
初級編では、統計データや分析の基礎、エアビーが提供しているプラットフォームやデータツールの概要について教える。中級編はデータベースや可視化ツール、A/Bテスト(異なる仮説をユーザーに試させて善し悪しを比較する手法)など実験のテクニックについて。上級編は「R」や「Python(パイソン)」といった統計分析言語や機械学習の実践といった高度な内容だ。
「このプログラムを作ったのは当社のデータサイエンティスト。今は50人以上がボランティアで教えている」。Data Universityを作ったひとり、プロダクト・リードのジェフ・フォング氏は語る。
Data Universityの“開校”に関わったジェフ・フォング氏(写真:Tex Allen)
Data Universityの開校以来、社員は確実に変わっている。社内データ・プラットフォームやデータツールを毎週使う人は開校前は23%だったが、今では45%に倍増した。データをデータベースから呼び出すための指示の数も5倍に増えている。
A/Bテストもサイトなどプロダクトに関わる60%の社員が使うようになった。過去12カ月の間に実施されたA/Bテストは4000件以上に上る。プロダクトに変更を加える際に、それだけ多くの社員がA/Bテストを活用しているということだ。
既存の大企業との差は広がるばかり
加えて、Data Universityは社内異動の機会も生み出している。
顧客サポート部門で働いていたある社員はデータに興味を持ち、Data UniversityでSQL(データベース言語)の基本を勉強した。その後、プロダクト関連の部書に移った社員は2年後にプロダクトマネジャーに昇進した。社内でスキルを身につけたことが新たなキャリアを切り開くきっかけになった。
「Data Universityの内容の一部は広く公開していこうと思っている」とフォング氏は言う。そうなれば、エアビーの社員以外も同社のプログラムを学ぶことができる。
Data Universityを設立した一義的な目的はすべての社員がデータを効率的に使って仕事をできるようにするため。ただ、データの扱い方や分析のイロハはコンピューターサイエンスと同様、必須のスキルになるという思いもある。社員のデータサイエンティスト化を進め、AIとデータを使いこなす側に回ってもらうというエアビーの取り組み。これはAIの進化と雇用の将来懸念に対する一つの回答だろう。
既存の大企業がもたもたしているうちに、エアビーのような会社はデータを使って業務をどんどん効率化していく。そういう先進的な会社ではデータやAIについて深く学べるため、優秀な人材も流れる。その好循環が既存企業との差をさらに広げていく。彼らに追いつくには、企業自身が社員の成長を促すような魅力的な場になる以外にない。
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